●「日蓮」と「宇宙」と・・・ Part①


ワタシは、宗教に熱心な母親の元に生まれた。

ワタシは、まったくの「無宗教」。

祖母が創価学会だったらしい。

(まったく知らなかった。ごく、ごく、最近知った。笑)

母親は創価学会ではなかったかもしれないが、

父親と結婚したため、祖母=姑に逆らえないところも

あって、学会員だったのかもしれない。

(両親ともに、もう他界しているので、知る由もない)

小さい頃、母親が何かした???らしく、祖母に

咎められ、一時的に「別居」を強いられ、数年実家に、

帰っていた。

   ↓

後に、「母親は宗教にハマり、莫大な借金をした」、

そう聞かされていた。

聞かされていただけであるので、今ではなんとも

いえないが・・・

   ↓

今思うと・・・

ひょっとして・・・

創価学会をバッシングしたのではないか、と直感する。

   ↓

それに腹を立てた祖母と対立し、「別居」という形を

とったのではないか?

そのとき、母親は「法華講」=「日蓮」に出会って

しまい、「本物」を直感したのかもしれない。

   ↓

では、ここでいう「日蓮」=本物とはなんであろう

か???  と、問うてみる・・・

   ↓

ワタシは、小さな頃から、母親に連れられ、近くの

「法華講」のお寺に連れられていた。

特にそのお寺に対して「信仰心」というものがあった

わけではない。

母親がしょっちゅうお寺に出向くので、ついていって

いた感じである。

それも、自身で望んでいるのだろう・・・

   ↓

宗教の中には「題目」という行為がある。

   ↓

これは、とてもすばらしい行為である、と思う。

ここでいう行為とは、体勢のことをいう。

その体勢とは・・・

   ⬇︎⬇︎⬇︎

まず・・・

①胸の前で、右手=『顕在意識』と左手=『潜在意識』

を合わせることで、胸の前に、 「0磁場」

形成する。

②右手=『顕在意識』=男性性=父性、と、

左手=『潜在意識』=女性性=母性、を統合する。

③題目=マントラ=同じことを何回も、何百回も、

「唱える」ことで【 瞑想 】と同じ効果となり、

頭もクリアリングされ、より容易に宇宙につながること

ができる。

   ⬇︎⬇︎⬇︎

そうすることで、宇宙と繋がり、【ほんとうの自分】に

つながることができる。

いわゆる【 自灯明 】である。

「日蓮」は、本来、このことを伝えようとしてたの

ではないだろうか?

いや、きっとそうだろう・・・

   ↓

しかし、その本来の「日蓮」が伝えようとしている

「真実」が、歪んでしまい、宗教システムの中に

組み込まれてしまった、のではないだろうか?

   ↓

宗教システムでは、常に「崇拝者」が必要となる。

「崇拝者」=「偶像」をつくりあげ、祀る。

そして、その「崇拝者」を敬い、そのようになるよう、

それを目指すように誘う。

そのシステム内に入り込んでしまうと・・・

   ↓

・題目を「唱えない」といけない
・毎月「お参り」しなさい
・「折伏」しなさい、そうすれば幸せになれる

というようなことに誘われる。

本来は、皆が【 宇宙につながる 】ことが、

真に伝えたいことなのに、途中で擦りかわり、

上記のような言葉を巧みに使い、半強制的な感じ

になっていった、のかもしれない。

   ↓

「幸せ」という言葉は、宗教からきているのでは

ないか?

「何かをしなくては」

「幸せになれない」

「だから、『拝み』なさい、『折伏』しなさい」

となるのでは?

   ↓

これは、「奴隷精神」となるのではないか?

   ↓

もし、そうなら・・・

宗教にのめり込む、もしくは宗教をする人たちは、

根底に「罪悪感」がある、のかもしれない。

だから、『拝む』ことで、「罪悪感」を取り払う

のかもしれない。

   ↓

祖母も含め、母親は宗教にのめり込んでいた。

これは、「罪悪感」があったのか???

   ↓

もしくは・・・

「罪悪感」というものは、「植え付けられていた」

のだろうか???

   ↓

実兄が、よく言っている。

「題目」することで、「罪障消滅」する、と・・・

「罪障消滅」とは???

これは? 

「カルマ」のこと???

とすると・・・

人は、皆、何も罪はないのに、そう「思っている」

そう「思わされている」ということになるのでは

あるまいか・・・

   ⬇︎⬇︎⬇︎

人は本来、この世界に「生まれてくる」ことは

「喜び」であるはず。

しかし、今のこの世界は、「奴隷的」=「罪悪感」を

植え付けられているのか?

そういう世界なのか・・・

それとも、皆が、それを望んでいるのだろうか・・・

   ⬇︎⬇︎⬇︎

一方で、こんな考え、効果もある。

「題目」をすることで、「対象物」を拝むことで、

自分自身につながる。

そうすることで、自身を振り返ることができる。

「対象物」は「自分自身」である、という考え方。

   ↓

要は・・・

やり方はどうであれ、宇宙=自分自身に「つながる」

ことができればいい、のである、

人を騙したり、心理操作したりしなければそれでいい、

のではあるが・・・

   ⬇︎⬇︎⬇︎

「日蓮」は・・・

誰でも・・・

「簡単」に・・・

【 宇宙につながることができるよ 】・・・

【 もともとつながっている 】・・・

のだよ・・・

ということを伝えようとしていた・・・

のではないだろうか・・・

わからんけど・・・笑


Part②へ・・・


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