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実際に働いてみて就活において、そして働く上で結構大事だなって思ったこと

『3人のレンガ積み』というお話をご存知だろうか。

旅人がある町を歩いていると、汗をたらたらと流しながら、重たいレンガを運んでは積み、運んでは積みを繰り返している3人のレンガ職人に出会いました。そこで旅人は「何をしているのですか?」と尋ねました。すると、その3人のレンガ職人は次のように答えました。1人目は、「そんなこと見ればわかるだろう。親方の命令で“レンガ”を積んでいるんだよ。暑くて大変だからもういい加減こりごりだよ」と答えました。2人目は、「レンガを積んで“壁”を作っているんだ。この仕事は大変だけど、金(カネ)が良いからやっているのさ」と。3人目は、「レンガを積んで、後世に残る“大聖堂”を造っているんだ。こんな仕事に就けてとても光栄だよ」と。

この話は人によって仕事の目的が異っていて、1人目は無目的、2人目は報酬、3人目は意義を目的としており、同じ作業をしていてもモチベーションが全く違う。だから、働くときはその意義を常に念頭に置いてモチベーション高く働くべし。

という風によく就活中や働く意味を考えるときに用いられる寓話である。

僕もビジョンに向かって働くことを良しとして就活を行なってきた。しかし、実際に働いてみると思うことがある。

いくら意義を感じても、目の前の今日、今、ここの仕事は、地味で、地道で、単調で、反復だ。

これは紛れもない事実で、レンガ積みだってその人が目的をどこに感じていようが3人とも毎日やることはレンガを積むことでしかない。

おそらくすべての仕事の最も小さい区分の仕事は、地味で、地道で、単調で、反復だ。


この圧倒的に現実的なありありとした事実は、就活では伝えられない。

誰もが、意義や理念、報酬やキャリア、社風や福祉で企業を見せ、企業を見ている。

それはとてもマクロな視点だ。

しかし、僕たちは社会に飛び込んだその日からミクロな現実と対面する。


企業におけるマクロな視点ミクロな現実を僕の勤めている星野リゾートを例にとって考えてみよう。

星野リゾートの最もマクロな視点、つまりビジョンは「世界に通用するホテル運営会社」である。

そして、そのために日本各地の魅力を最大限に生かし、生産性と顧客満足度の両立を目指してホテル運営を行っている。

こんな程度のマクロ視点で会社を見て判断してはいけない。

もっと顕微鏡のレンズの倍率を上げてみよう。

生産性と顧客満足度を両立するために、従業員は各チームに分かれて業務を担っている。

さらに倍率を上げる。

フロントチームはお客様のお出迎えからお見送りまでを担当している。(この辺まではインターンなどで体験できる。ただ毎日これをやるというイメージまではしない。)

さらにさらに倍率を上げる。

チェックインに際しては、お客様の情報を予めインプットしそれぞれに合った滞在のご提案をする。

まだまだズームズーム。

お客様に挨拶する。会話する。荷物を持つ。お部屋に案内する。

ここがミクロな現実だ。

「世界で通用するホテル運営会社」の中で日々行っていることはお客様に挨拶し、会話し、荷物を持ち案内することでしかない。


就活していた自分に問いたい。

お前はここまでミクロに見えているのか?


どこまで現実がミクロに見えているかによって入社前と入社後のギャップの度合いが変わってくる。ミクロに見えていればいるほど、スムーズに適応できるだろうが、マクロな視点のままだと、「なんだつまんねぇ」となってしまう。

おそらくこれはどんな仕事でも言える。広告会社ならパソコンのキーボードを打つことが、運送会社ならハンドルを握ることが、漁師なら網を引っ張ることが嘘も飾りもないミクロな現実なのだ。

就職や転職、何か新しいことをする前には自分の顕微鏡のレンズの倍率を最大限上げる必要があると僕は思う。


とはいえ、意義やビジョンはとても大切だ。

目的もないのに、地道で、地味で、単調で、反復なことなんて人間やり続けられるはずがない。

ここで伝えたいのはマクロな視点とミクロな現実、どちらが大切かということではなく、

重要なのは、最もマクロな視点と最もミクロな現実の両方を正確に捉え、その両極端の間にある次元の中で物事の意味づけや因果関係を自在に認識できるか、だと思う。


チェックインを例にとってみると、

「世界に通用するホテル運営会社」になるためにお客様といまここで会話しているという認識と、(マクロ→ミクロ)

お客様といまここで会話することは「世界に通用するホテル運営会社」になるためにやっているという認識(ミクロ→マクロ)

の両方を持つことが重要だということだ。


寓話はいつも見えないものを見えるようにしてくれる。その一方で、ありありと見えていることを見えないようにもしてしまう。

人生は、現実に生きるか、理想に生きるか、の二者択一ではない。

現実の崖から理想の地へとかかった吊り橋を渡るのだ。

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