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やっぱりおっぱい 〜がんサバイバーの奮闘記〜 第5話

12月20日、11時頃に母が来てくれた。でも、長時間話すと疲れるんだよね。
私自身、もう大丈夫思い、明日には実家に帰ってもらうように促した。母も疲れている様子が見て取れたからだ。

夕方、近所の女子中学生がハンドベルと合唱のコンサートを行うということで、1階のロビーへ行く。どうやら中高一貫で、かなりレベルの高い学校だとか。
結構いろんな人が入院しているんだなぁと思った。車椅子、ストレッチャーに乗っている人まで見学に来ていた。

初々しい演奏と歌声に泣いている人もいた。
手作りのクリスマスカードももらった。

夜、突然、主治医の先生が来た。別室に呼ばれ、モニターを見ながら、「予想以上にがんが広範囲にあってね、全摘しないとダメかな」と。
手術中に顕微鏡を見ながら、細胞の確認をするのだが、C Tには映らない小葉がんが広がっているのだという。

手術がうまくいっていたと思ってた私は、愕然とし、涙が止まらなかった。正直、このあたりの先生との会話はよく覚えていない。がんが見つかった告知される以上にショックだった。

あまりにも嗚咽を漏らしている私を見て、先生や看護師さんに背中をさすってくれた。

両親に電話して、明日帰省する母に病院に来てもらうことにした。
両親は術後に先生から全摘の必要性があると言われていた。だから、父は帰らずに1泊延長したのだ。おそらく母のことが心配だったのだろう。
この時にようやく、いろんなことが一致したのだ。

12月21日、昨夜泣いたせいか、目が腫れぼったかった。この日から看護師さんの態度が変わった。優しい言葉をかけてくれる人、冗談を言って笑わせてくれる人、愚痴を言う人、オペにいた看護師さんも病室に来てくれた。

母が来てくれたことで、少し安心した。
なんとなく気持ちの整理がついたので、疲れている母を実家に戻ってもらうことにした。
この日は何をしたのかよく覚えていない。

しこりがある。がんの告知を受けてから、気持ちの浮き沈みが激しい。
だけど、なってしまったものはしょうがない。ある意味、肝が据わったので、へこたれていても、立ち直るスピードが早くなった。

12月22日、友達がお見舞いに来てくれた。久々に友達と話すことで、精神的に楽になった。短い時間だったけれど、マッサージをしてくれたり、温かさや感謝の想いでいっぱいになった。

夜、大部屋に病院の先生やスタッフ7、8人がバイオリンとキーボードでクリスマスソングを演奏してくれた。私の手術に入っていた麻酔科の先生がいた。すぐ近くで聞く生音のバイオリンにグッときてしまった。同じような思いを抱いているのか、泣いている患者さんも多かった。

12月23日、友達2人が同じタイミングでお見舞いに来てくれた。話すのは体力を消耗するけれど、友達と話すのは楽しい。
だけど、私はある間違いを犯していた。乳がんの手術後なのに、全摘しなければいけないと普通に話していた。友達からすると、ショックなことだよね。少し涙ぐんでいる友達の目を
思い出し、相手のことを考えずに、無神経になんてことを言ってしまったのだろうと後悔した。

12月24日、クリスマス・イブに退院。荷物は多かったけれど、休み休みしながら帰宅。洗濯をして、荷物を片付けていたら、フラフラしてしまった。
久しぶりの家のベットはやっぱり格別。そのまま爆睡してしまった。

12月25日、身体はまだ疲れていて、熱が下がらない。そして、傷口が痛い。しばらくこのような状態が続くのだろう。

12月27日、傷口チェックのためにクリニックへ行く。年末なのに、激混みだった。
テープで皮膚がかぶれていた。術後からずっといろんなところが痒かった。痒み止めを塗ってもあまり効果がなく、手術した胸より、ひっかき傷の方が酷かった。

先生に、全摘の手術の話が出たのだが、私は「年末年始、ゆっくり考えます」とちょっと話を避けた。さすがに今の状態で再手術する気力も体力もない。

12月29日、飛び入り参加の忘年会。抱きしめてくれる友達もいたり、笑い飛ばしてくれる友達もいた。十人十色の仲間に励まされる。おいしい料理と友達との楽しい会話に癒された。

12月30日、東京駅は帰省する人のラッシュ。駅弁やお土産を買うのも一苦労。
北へと向かう新幹線の窓から見える景色がだんだんと雪景色に変わっていく。
東京とは段違いに寒い。これでも温暖化が進み、暖かい冬なのだ。

高校時代の友達が突然自宅に行っていいかとメールが。わざわざお見舞いを持ってきてくれたのだ。千疋屋のフルーツの瓶詰めと首・肩を温めるものを頂いた。これが後々、大いに役立つことになるとはこの時は思わなかった。
気を遣わせて申し訳ないと思いつつ、ありがたいなぁと思った。

12月31日、大晦日。改めて振り返ってみると、前半は仕事ばっかりしていたけれど、「乳がん」になったことが一番の出来事。
戦いは来年も続くのだ。

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