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「勝負」の前に「好き」を知ろう。競争心が強まると自分らしさが消えやすいから。

例えば受験戦争において、いやもう戦争においても、相手に勝つためには変わった個性などは必要が無く、ただ同じルールの土俵の上で相手よりも優れていることのみが自分を勝利へと連れていってくれる。

もちろん個性が全く無くなるわけではなく、勝利のための自分の鍛え方やアプローチは個性によって変わる。ただそれも勝利のための価値観は同じ中にいるため、それはあまり自分らしいかどうかよりも、より個性を利用して勝利するという同じゲームの中での話である。

そう、競争というモノは、あるルールや統一の価値観があるから成り立つモノであり、ただ自分の好きな事を好きにやってる上では競争も何も起こらない。

だから競争心や「勝ちたい」「上に行きたい」という願いや想いを強く持つほどに、何かのルールや価値観に身を投じる事になり、その中での良い悪い、上だ!下だ!の判断に沿って考えるようになる。

これがゲームの1つだと引いて考えられる人であれば楽しみの一つとして良いのだけど、子どもの内に受験などのそうした競争ばかりに親も含めて入り込んだり、社会にある競争しか見えなかったり、また自分の中の男性ホルモン的なオスの競争心が強かったりすると、もうその競争こそが全ての世界に身も心も染まってしまい、時には「負ける🟰価値無し」と自分に絶望したり、とにかく勝つためにストイックに自分をそのルールの中で磨き上げたりして、自分というものが見えなくなってしまう事がある。

それは別に競争が悪いのでは無く、そこにのみ価値を持たせて、そこにおいて突っ走るだけになることによる弊害や偏りといったものなのだ。

なので、別に競争が心地良くてその世界で勝つ事が心地良いならば、それで走っていれば良いのだけども、そのルールでどうも勝てなかったり、勝ってもなんだか楽しくなくなって来たとしたら、別にその世界にこだわらなくても良いと思う。

また「良いものと自分が大好きなもの」は違うのだから、もしも自分の個性を確認して、大好きなものを探したいと願うならば、一旦、あるルールや価値観の中から抜け出して、競争では無い中での自分を見つめ直すのをオススメする。

競争の中では、どうしても個性の上に勝利があり、自分を見つめる目もそのフィルターを通してしまうから。

もしもどうも自分がただ「イタズラが好き」だとしても、競争フィルターを通してしまうと、「そんなの無駄じゃん」「ダメじゃん」「役に立たない」と排除や否定してしまいがちで、より勝てるための自分しか残さなくなってしまい、その結果、個性よりも勝利のための「優れた良い人」が出来上がる。

もちろんそれが好きだったり、そのまま何となく勝利を楽しんでいけるなら、それでも良いのだけど、もしも苦しむ時が来たら考えてみてほしい。競争は好きでやるものであり、自分の個性や大好きは、そんな競争の前にあるもので、それを確認してから、また競争に参加すれば良いんだと。

学校でも、社会人でも、なんだか人生に疲れてしまった人でも、よく「自分を取り戻す」なんて競争とかを悪く言うこともあるけれども、それはまず競争に入る前に存分に自分が好きな事をやって、先に自分を何となく知って、それから競争へと向かうという単なる順番によるモノであるだけだから、その順番に自信を持って、「今は好きな事をさせて」で良いんだと思います。

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