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【必聴・必見】能登復興への道しるべ:東日本大震災からの学びを伝える動画・音声集


311の教訓から能登の復興を考えるvol.2
〜住民の声を復興計画に反映させるためには

上から振ってきた復興計画がひとり歩きし、結果、住民が望まない町ができてしまった。これは、よく耳にする東日本大震災があった各地の反省です。しかし、裏を返せば、地域の側に提案する力が足りなかったとも言えます。

こんな話があります。昔、日本のロケットが何度も失敗している時期がありました。どうやったらちゃんと飛ぶのか。その議論をしていると、ある人がこう言いました。

「簡単だよ。開発者を乗せればいいんだ」。

被災地の復興計画も同じことではないでしょうか。復興した町に暮らしていく人たちがまずちゃんと考えないと、復興はうまくいくはずがありません。では、どうすればいいのか。東日本大震災の被災地で、参考になる事例があります。

人口3万9千人(震災前は4万3千人)の東松島市では10mの津波が襲い、住宅用地 (市街地)の65%が浸水。死者1110名、全壊から半壊まで合計11073棟(全世帯の約73%)が被害を受け、避難者は1万5千人に及びました。そんな中、2000人以上の市民が参加するワークショップが各地で開催され、中学生から高齢者が参加。拾い上げた住民の声は、実際に復興計画に反映されていきました。なぜ、東松島ではこうした市民協働の復興まちづくりが可能になったのでしょうか。

当日は、この復興計画づくりに関わった市職員、住民リーダー、伴奏支援したNPO代表にオンラインで参加してもらい、それぞれの立場からお話してもらいます。そして、住民が参加してできた復興計画を終えた東松島市は今どうなっているのかについても話してもらいます。それを踏まえて、参加者(リアル、リモート)と対話していきます。

 出典 https://www.youtube.com/watch?v=J5Nj5Flcsq0&t=1476s

311の教訓から能登の復興を考えるvol.5
〜還暦以上は口を出さなかった復興まちづくり

2011年の東日本大震災で、宮城県で一番被害の大きかった女川町。最大14.8mの津波がまちを襲い、人口約1万人のうち、死者・行方不明者は827名、町の住宅の約9割にあたる約3,900棟が被害を受けました。

震災から13年、「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ。」というスローガンを掲げる現在の女川町は、シンボリックな駅舎の復活、そこから海へと続く近代的な商店街シーパルピア女川を中心に、復興・創成の道を歩み続けています。単にハードを整備するだけではなく、そこに人の活気・挑戦が生まれ続けている女川、その背景には、復旧・復興の過程における様々な工夫・苦労の積み重ねがありました。

「新しいまちづくりは若者に任せて還暦以上はサポートに回る」、「よそ者を積極的に受け入れて共にまちづくりを行っていく」など、女川町の復興の過程を振り返ると、重要なキーワードがいくつかあります。これらは震災の有無に関わらず、平時の”まちづくり”においても大切な方針として掲げられることが多いものですが、それを実際に実践するのはとても難しいことです。しかし、実践したからこそ、地域にとって意味のある復興を実現できたのが女川町です。

今回は、震災直後の混沌とした時期から女川町の支援に入り、これらの実践の中心人物の一人として活躍した”よそ者(当時)”、小松洋介さんを招き、復興の過程・苦労・工夫などを聞きます。参加者との対話の中から、能登復興のヒントを得られるような場にしたいと思うので、お気軽にご参加ください。

出典:https://www.youtube.com/watch?v=gbONjbRdMRw

311の教訓から能登の復興を考えるvol.7〜対立を乗り越えて住民合意を図るには

2011年3月11日に起こった東北の大震災の津波で、宮城県気仙沼市大谷地区では75人が犠牲になりました。大谷地区の復興に際しては翌年の2012年、宮城県が大谷海岸の砂浜を埋め立てて、9.8メートルの防潮堤を建設する案を提示していました。

大谷地区で生まれ育った三浦友幸さん(当時27歳)の自宅は津波で流され、母も失ってしまいました。それでも、「やっぱり海が見えなくなるのはいやだ」と、三浦さんは県が示す防潮堤建設計画に疑問を持ちました。当時、砂浜を消滅させる防潮堤計画に対して、大谷地区の住民の間では賛成派と反対派に割れていました。

震災前まで地域の活動にまったく参加したことがなかった三浦さんでしたが、「学校の卒業写真を撮ったり、地域にとって大事な海岸だった。どうにかしないといけない」と思い、行動します。彼は反対運動ではなく、住民意見の反映を求める署名活動を展開し、1234人の住民の署名を集めました。 三浦さんは同時に、3年をかけて住民の合意形成に奔走。2016年に、防潮堤をセットバック(後退)させ、砂浜の景観を守る整備計画を対案として県に提出しました。防潮堤を内陸へずらし、海沿いを走る国道をかさ上げして防潮堤と役割を一体化。海側はなだらかな階段にして迅速な避難が可能とする整備案で県と折り合いがつきました。階段は、浜辺でのイベントの客席にもなるようにしました。

地域のシンボルでもあった砂浜を消滅させる防潮堤計画に対して、賛成派や反対派などと対立した立場を与えられると、一人ひとりがそれをますます内面化してしまうところ、「住民参加の防潮堤整備を求める」という活動目的に転換し、対立を昇華させ、合意形成を成功に導いた事例は、能登復興にも大きな示唆を与えてくれます。

その後、まちづくりの当事者になるべく、気仙沼市議会議員となり、シングルマザー支援、子ども・子育て支援、不登校支援などに力を入れている三浦さんをゲストにお招きし、賛否が分かれた住民の合意形成をどのように進めていったのか、お話を伺います。

出典:https://www.youtube.com/watch?v=2g_fNLAuWEU

311の教訓から能登の復興を考えるシリーズ

vol.2 住民の声を復興計画に反映させるためには
vol.3 関係人口が漁業復活の力に
vol.4 住民ゼロの町に100の新事業を創る
vol.5 還暦以上は口を出さなかった復興まちづくり
vol.6 【特別編/新潟県山古志村】住宅再建より集落再生を目指した復興
vol.7 対立を乗り越えて住民合意を図るには
vol.8 被災地の希望になる祭りの存在意義とは
vol.9 【特別編/YAMAP代表春山慶彦】流域の視点での復興
vol.10 【特別編/金沢大学林直樹】 撤退と再興の農村戦咯〜活性化が難しい集落の復興とどう向き合うのか

出典:https://www.youtube.com/@tokoshie36/videos

他にも上記の動画が、以下のYouTubeチャンネル「Keita Kamiirisa」にまとまっています。


POTLUCK FES'24 Spring OPENING SESSION:ソーシャルインパクトはなぜ必要か。「社会性」と「経済性」の両立を目指せ


能登復興と関係人口の可能性を考えるトークセッション・車座交流会


以下は有料コンテンツです。

NHKスペシャル 「震災12年 復興の地図 ~“希望の芽”を探して~」

東日本大震災から12年。NHKでは、「国勢調査」などをもとに、各自治体の性別や年齢別、職業別の人口増減を示した「復興の地図」を独自に作成。被災地の中で進む再生の兆しを探した。独自の取り組みで移住者を呼び込んでいる町、リスクを度外視し若手社員に大きな権限を与える企業、福島で始まった新たなイノベーション。数十年先の日本を映し出しているとも言われる被災地で浮かび上がった“希望の芽”を見つめる。

出典:https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2023126400SA000/

NHKスペシャル 東日本大震災 追跡 復興予算19兆円

東日本大震災の被災地から「復興は進んでいない。お金は一体どこに使われているのか。」という切実な悲鳴が上がっています。被災地復興のためにつぎ込まれる復興予算は平成24年度までに19兆円が計上されていますが、増税を前提につぎ込まれることになった復興予算は一体どのように流れ、どう使われているのでしょうか。「巨額のマネー」の行方を追い、その実態を徹底検証します。

出典:https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044257SA000/

NHKスペシャル 東日本大震災「めざした“復興”はいま…~震災7年 被災地からの問いかけ~」

東日本大震災から7年。津波被災地では、32兆円の巨額を投じて進む復興事業によって、新たな街が次々と姿を現し、政府は「復興の総仕上げ」の段階にあるとしている。そして、原発事故で被害を受けた福島では、7割の地域で避難指示が解除された。しかし今、被災地では想像を超えた事態が起きている。被災地の今をルポし、震災7年の課題を徹底取材。大越健介キャスターが現地から“復興”のあるべき姿を問いかけていく。

出典https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2018086461SA000/

東日本大震災、復興計画のリアル(木下斉の今日はズバリいいますよ!)

東日本大震災、復興計画のリアル【1/2】復興まちづくりブートキャンプ(2023/3/11 #0627)

東日本大震災、復興計画のリアル【2/2】責任ある大人が向き合うべきこと(2023/3/12 #0629)


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