1日の大半が作品作りから工場作業になってしまった
場所はいつもの居酒屋。
私の前には同僚の菅野(すがの)がいる。お互いに酒に目がないので、仕事帰りの一杯は格別だ。
その菅野が目の前のハイボールに焦点を合わせながら愚痴を始める。
「困ったもんだ。」
「何が?」
私が聞くと、彼は額に手を当てながら、のどを鳴らす。警報ブザーの物まねかな?
「もの覚えが悪い。先月から担当の仕事を引き渡しているんだけど、彼らがなかなか覚えてくれない。使うのはいつもの売上データだけなのに。
データの加工といったって、Excelを知っていれば数分の仕事ばかり。なのに、何度も私に聞いてくるんだよ。まいったね、、、」
菅野のいう彼ら、とは後輩の社員2人のことだ。
真面目で、仕事も期限までにこなす(少なくとも努力する)。ただ、これまでは決められた作業が多かった。だから加工や相手との調整が必要な仕事を任せるように決めたんだった、半月ほど前の話だ。
「確かに、彼らのキャリアなら難なく出来そうなのにね。もしかして、デスクの背後で脅しつけてるの?」
茶化すつもりで聞いてみる。反応はいまいち。
「そんなことする訳ないでしょ。いつも通り。いつも通りです。拍子抜けしちゃったな〜。」
彼はハイボールをぐいっと飲む。
専用の金属製なのでカップの中身は見えないけれど、もう次の注文が必要かもしれない。
「何でだと思う?」
「なぜカンタンな作業ができないか、ってこと?」
「そう。経験はある。長年同じ仕事をしていて、他部署に浮気してた訳でもない。私と違ってね。仕事に詳しいなら、すぐできるはずだよ。」
菅野はカップの縁で指を遊ばせながら、それは違う、と訂正する。
「今聞かれながら思った。君が今言った、その前提が違うんじゃないかな。」
どの部分、浮気してたってこと?
二度目の茶化しを無視して彼は続ける。
「ナガネンハタライテイルト、シゴトニクワシクナルこれが違うんじゃないかな。あくまで彼らは仕事に慣れただけ。何回も同じ作業をしたことで、言われたことを、素早く、正確に出来るようになっただけ、なんじゃないか。」
「それは、仕事に詳しくなった、ことにならないの?」
「ならないね。」
「なぜ?」怪訝そうになる私。
「つまりさ、さっき話した通りなんだよ。仕事が目の前にあっても、応用ができない。」
「応用?」
菅野はハイボールを飲む。明らかに中身がない。酒、というよりも喉元に水でも氷でも流したかったんだな。
「新しい仕事が出てきたときに、分からなくなるんだよ。
なぜこの仕事をするのか。
この仕事の成果が他のどの仕事に結びつくのか。
しなかったら、何が起きるのか。自分たちの仕事は、言われた作業を決められた時間の中で済ませること。そう思っている限り、この発想はできないかもしれない。」
非難めいた匂いを感じて矛先を変えてみる。
「自分の時はどうだった?入って最初の数年は同じように働いていたってことはないの?」
「うーん。都合よく記憶をいじっていたらごめんなさいだけど、私の時は違っていたね。」
「昔は良かったってやつ?」
「そうならないように気をつける。」
酔っている割に自制心はありそうだ。
「確かに仕事運びは変わったと思う。いや、彼らに非があるのではなくて、会社の話だよ。ExcelやACCESSで使う仕組みを1から作っていたころは、何をするにも、作業と入力が必要だった。」
「1つ間違えると数値は当然変わるし、チェックは人の目しかないから、2人で見落とすと支払額も、取引先すら間違えてしまう。トラブル続きの時に3人チェックなんて時もあったね。とにかくめんどくさかったよ。夜中まで修正作業なんてのもざらだしね。」
「でも、そのおかげだと思う。取引から支払いまで仕事を1から10まで理解できたし、理解しないと仕事にならなかったんだよ。」
菅野はハイボールが完全に空になったので、隣にある水のグラスに手を伸ばす。追加注文はこの話の後にしよう。
「で、今はそうじゃないと。」
「そう。一昨年から仕組みが自動化したじゃない。決められた欄に数字と日付を打ち込んで、取引先をマスターデータとひもづければ、完了!後はひとりでに報告書がでる、という寸法だよ。」
「わからなくてもいい。数字の意味も知らなくてもいい。だって、数字の正しさは仕組みが保証してくれるからね。理解しないですむ。」
「そして、ここからが大事なんだけど、間違っていたらシステムを作ったヒトのせいにできる。これって便利なように見えていたけど・・・それだけじゃない。ちょっと違うのかもしれない。」
「つまり?」
「安易、という言葉もある、ってこと。わかっていないモノを使って、わかっていないまま次のヒトに渡すようになっちゃったんだ。工場の流れ作業みたいにね。自分が手を下すのは何十もある入力ステップでの1つだけ、というわけ。」
なるほど、私も似たことを感じていたから、首肯する。しかし。
「でも、困ったように言うけれど、その自動化で良かったこともあるんじゃないかな、その自動化の前に比べたら処理できる量ははるかに増えたよ。それは君も認めるでしょ。」
「そう、おっしゃるとおり。残業が減ったから平日夜でもここで飲める。道理だ。」
彼はテーブルの上に備え付けの呼び出しボタンを押した。次の飲み物は、きっとレモンサワーだろう。
「ただ、大事は、スピード量だけなのか。。。今感じていることは、それじゃない」
「それじゃないなら、何なのさ」
「作品を作ることへの理解と、責任。プライド。カッコよく言ってみる。」
それはかっこいいな。
「自分がわかっていることを1から終いまでやりきる、うまく言ったら、自分のおかげ、失敗したら、自分のせいだった。そんな経験は山程もってる」
「確かに、私もデータのミスで頭下げたのは1回や2回じゃないや。」
「そう、それがさ、前まではそんなプレッシャー無くなればいい、と思っていたけれど。今はそうじゃない。」
「自動化をやめればいい、と?」
「少なくとも彼らを作業員から社員にするためには、ね。自分たちじゃないとできない、自分たちならできる。そう思える仕事から、誰でもいい、誰でもできる作業になっちゃったんだよ。」
それは、会社にとっては素晴らしいことかもしれない。突然の退職にも、ヒトの入れ替わりにも対応できる。リスクは少ないほうがいい。ただ、納得はできない。
ちょうどその時、呼び出しボタンを聞いて、店員さんがやってきた。
これも誰が押しても同じように店員さんは注文を聞きに来てくれるんだろう。便利なのか、安易なのか。形容に困る仕組みを使いながら、私は菅野のレモンハイを注文した。
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