見出し画像

読書をミニマルにする訳

読書は頭に良いと言われてきました。父からそう教えられ、学校の先生から本をたくさん読むことで褒められたこともあります。大人になってからも読書賛美の流れは否定されませんでした。ビジネス書を読めと言われ、今では後輩にそのように助言しています。

ですが、読書は良い習慣なのでしょうか?取り組み方によっては短所にもなりえます。

こう思ったきっかけは2つあります。本の出会いと経験からお話します。

「読書について」

19世紀のドイツ哲学者ショーペンハウエルが書いた読書論です。

この本から学んだことは、読書とは「他人の頭に代わりに考えてもらう」行為であるということ。

私が1から考えるのではなく、時代も場所も違う場所で生まれた人が書いた内容を追いかけている。一見受け身の作業である点です。

これを読むと、私自身の偏見があらわになります。なぜか読書という行為を他のマスメディアに比べて過剰に賛美していました。読書することは高等であり、テレビやインターネット、ラジオからの情報はそれに比べて劣ると。

ですが、他人の創作物を受け入れている行為に変わりはありません。目的や、疑問をもって接しないと、自分の立場で考える力を失っていく。それはテレビも読書も同じです。

2つ目。読書の習慣がなくとも、自ら考え行動する人がいるという経験です。数年だけ、社内の営業部門で働いたことがあります。配属された支店の同僚の関心事を聞いたところ、日頃読書をする社員は1人もいませんでした。1人もです。

しかし、彼らは自分の意見を持ち、仮説を立て、契約に向けて多様な行動をとっていました。この時、私の先入観が崩されました。「読書に頼らずとも、思考と行動は活性化はできる。自分の経験や他者との交流を活かせば良い。」

本を読むことは良いが、人生に必須ではない。目的のない多読を避ける。そして自分で考える習慣をつける。今回の教訓です。

読む行為もミニマルにできそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?