見出し画像

12.聖書の読み方①-3〜ペテロと魚のお話から学べること〜

こんにちは^^
私のノートをご覧になってくださる方、フォローしてくださった方、本当にありがとうございます。

前回の記事では、聖書に書かれている奇跡の話の中の一つ、「ペテロと魚」に関するお話を書きました。


<「ペテロと魚」の話を通して私たちが学べる教訓>

「聖書は比喩で書かれている」という話をし、実際に「ペテロと魚」の話を、その比喩が意味するものを説いた形で書いたのですが、
この記事では「ペテロと魚」の話を通して私たちが学べる教訓について話します。

比喩を理解して、どのような話だったのかを理解することがとても重要ですが、ただ知識だけを学ぶのでは聖書を読む意味がありません。

では、この話を通して私たちが学ぶことができることとは何でしょうか?

人によって様々な学びを得られるとは思いますが、
この話を通して学ぶことができる最も大きなポイントの一つは「誰から、何を学ぶか」ということです。

<ペテロに起きた変化>

ペテロは一介の漁師でした。
漁師といっても「ガリラヤ湖」という小さな湖で魚を釣り、その日暮らしをしていました。
そして、一日中漁をしても魚が一匹も釣れずに落胆していた時に、イエスキリストに出会い、その方の言葉通りにしたところ、網が裂けるほどの魚が釣れることを体験し、その時からは網を捨ててイエスキリストに従っていきました。

ルカによる福音書5章1〜11節
「5:1さて、群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、 5:2そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。 5:3その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。 5:4話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。 5:5シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。 5:6そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。 5:7そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。 5:8これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。 5:9彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚がおびただしいのに驚いたからである。 5:10シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。 5:11そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。」

ペテロにとって「網を捨てる」ということは、仕事を捨てたという意味であり、過去の自分を捨てたということです。
この「網」は自分の固定概念、自己主観、自分なりのやり方などとも言い換えられるでしょう。

その結果、最終的にペテロがどういう存在になったかというと、初代ローマ教皇となりました。
さらには、ペテロの名前が刻まれた教会、世界で一番大きい教会「サン・ピエトロ大聖堂」が建てられました。

ペテロがやったことを簡単にだけ話すと、
・網(自分の過去、固定概念、自己主観など)を捨ててイエスキリストの御言葉に聞き従った。
・イエスキリストから学んだ御言葉を実践し宣べ伝えた(1日に3000人も伝道した)

です。

これによって、一介の漁師から初代ローマ教皇になるような奇跡が起こりました。

この御言葉を教えてくださっているチョンミョンソク牧師はこのような言葉を教えてくださいました。

「人が変化することが奇跡だ。」

超常現象のような、そういうことを奇跡と呼ぶのではなく、「あなた自身が変化することが奇跡だ」と教えてくださいました。

もし魚が釣れなくて困っていたペテロが、もっと漁の上手い漁師に出会ってその人についていったら、漁師のまま人生を終えていたことでしょう。
しかし、人生の根本的な答え・真理を教えてくださるイエスキリストに出会い、その方から学び、従っていったことによって大きな奇跡を起こす主人公になりました。

聖書には、神様の真理の御言葉には、これだけ人を変える力があります。

ぜひ皆さんが少しでも聖書に興味を持ち、読むきっかけとなったら幸いです。

今日はここまでとします。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?