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抽象的な言葉選びは対人関係からの逃げである

自分の言葉で相手を傷つけないように気遣う。

これはとてもとても大事なこと。

でも今回の主題は、相手を気遣うあまりに抽象的な言葉選びをしてしまうことは、結局のところ深い対人関係から逃げていることになるんじゃないかという問題提起である。

とはいえ、現在のSNSではあまりに直接的な、攻撃的な表現で無作為に相手を攻撃する行為が散見され、なぜこうも相手に石を投げるような行為を平然とできてしまうのかと思うことが多い。

このような行為を肯定するものではないとだけ、先に言っておく。



今回のモデルケースは会社でも仲の良いA君だ。

A君は他部署ながら同い年で昔からよくプライベートでも遊んでいる仲だ。

彼とはプライベートにおいては、色々相談し合う中なのだが、こと仕事においては少し違った。

このようにカテゴライズすることが適正かどうかはわからないが、

A君はいわゆるブルーワーカー。

そしてぼくはナレッジワーカーに分類される。

一人の人間の資質として何らここで優劣はない。彼にできてぼくにできないことなんて数えればきりがない。

だが、どうしてもロジカルに仕事を進めようとした際にはその辺の知識や経験では大きな差があると言わざるを得ない。



A君は仕事熱心で、何かトラブルが起きたとき誰よりも真剣に取り組む。

そしてよく空回りをする。

どう考えても”甲”だというロジックで、結論は”乙”だ!というような迷走具合が激しいのだ。

そんな彼に対して、ぼくは毎回伝え方を躊躇する。

「〜はロジックがおかしい。」

「前提が間違ってる。ちゃんと見てるの?」

「何でそこ確認してからやらないの」

言いたいことは山ほどあるんだが、やはり人それぞれ持っている知識や経験などのバックボーンも異なるのであまりキツく詰めてもかわいそうだと勝手に判断していた。

だから

「まあお前の言い分もわかるけど、俺はこっちのほうがいいと思うよ〜」

みたいなふわっとした会話で乗り切っていた。


でもそれってよく考えたら彼ときちんと向き合ってなかったな、と。

彼は真剣なのに、だ。

もしかしたらストレートに議論することで、彼は一瞬嫌な思いをするかもしれないし、理解できない自分を責めるかもしれない。だが、その分成長するチャンスがあったかもしれない。

そして、ぼくは彼との対話により成長するチャンスを確実に逃していたのだ。

背景としての知識や論理構造について詳しくない人にもわかりやすく伝えるという行為から逃げていた。

ぼくの勝手な思い込みでお互いがきちんと向き合って一緒に成長する機会を損失していたような気がしてならない。

だから、最近は極めてストレートに思ったまま伝えている。

やはり彼は少しムッとしたり、よくわかんないと理解を拒絶してしまうこともある。

でも昔よりちゃんと一緒に仕事ができている気がする。

彼に頼んで、一緒に考えてやってもらえる作業が増えた。

この作業はぼくには決してできないものだ。

間違いに気づけてよかったなと折を見て振り返る事例だ。





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