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超集中「フロー(ゾーン)」とは?〜紹介編〜

よくスポーツで「ゾーン」に入るとか言いますよね。

めちゃめちゃ集中してパフォーマンスが上がる状態。

心理学的には「フロー」と言うらしいですが、日本人にはゾーンと言うほうが馴染みがあるような気がします。

フロー(英: Flow)とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。ゾーン、ピークエクスペリエンス、無我の境地、忘我状態とも呼ばれる。心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。      Wikipediaより引用

無我の境地とも言うんですね。

おっと、ここでテニスの王子様を思い出すとちょっと誤解が生まれるやもしれません(笑)


冗談はさておき、普段スポーツに限らず仕事や趣味、家事をやっているときに自分でもびっくりするくらい集中してしまい、あっという間に時間が過ぎていることはないですか?

あの状態はもしかしたらフロー(ゾーン)かもしれません。

色々とやる事が多くて切羽詰まったときや、スポーツなどでここぞという時にパフォーマンスを発揮したい際、意図的に使えたら便利ですよね。

昔、ダーツをやっている時に多分ゾーンなんじゃないかという感覚を得たことがあって、その日はめちゃくちゃ良かったんですよね。

全然外れる気がしないし、外れてもなんか達観してるんです。

「あ〜外れた」

くらいで感情が全く振れない。全くの他人事。

普段だったらイラッとしたり悔しがるところでも心が平穏。

なんだこれ、すごい面白い!!

ということで一時期ちょっと調べたことがあるんです。


ではいわゆるフロー(引用元の関係からややこしいので以下フローとだけ呼びますね)と呼べる状態には必要なんでしょうか。ここでまたまた Wikipediaさんに活躍願います。

ジェーン・ナカムラとチクセントミハイは、フロー体験の構成要素を6つ挙げている。
1)専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
2)自己認識感覚の低下
3)活動と意識の融合
4)状況や活動を自分で制御している感覚。
5)時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
6)活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。(報酬系)

さて、これはチクセントミハイさんという方が提唱しているのですが、これだけだとちょっととっつきにくいですよね。

端的に言うと、このフローという状態を説明するには、様々なパラドクス(背理・逆説)があることを知ると理解しやすいんです。

これをわかりやすく説明している本があります。

ゴルフの本なのですが、本の前半はフローについて、後半はフローに入った状態とはどんな状態か、どんな感覚だったかを、PGAというアメリカのトップツアーを戦うプロの体験談として載せています。

これによりだいぶ具体的にフローとは何か、どういった状態になるのかを知ることができます。

どうでしょう。

イメージができた方が、自分もフローに入りやすい気がしませんか?


さて、パラドクスの話に戻します。

この「フローゴルフへの道」では4つのパラドクスに分類しています。

フローを体験した(気がする)身として後から考えるとなるほど、確かにそうだなあと感じることが多いです。

では見てみましょう。


①時間のパラドクス

まずは時間のパラドクスについて。これはフローに入っている間、時間が遅くも早くも感じられるという矛盾がおきます。

時間が遅く感じるというのは映画「マトリクス」の有名なあのシーン。背中を反って銃弾を避けるシーンをご存知でしょうか。あの時、銃弾は非常にゆっくりと迫ってくるように描写されていますよね。あのシーンから「バレットタイム」と呼ばれているそうですが、フローにより超集中している際には時間の流れは遅く感じます。あらゆる動作がゆっくりに感じるという話も聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。

ですが、一連の集中が終わった時、あっという間に時間が過ぎていたというふうに感じる。ここに矛盾(パラドクス)が起きるのです。理由は時間の感じ方がこの上なく主観的になるから起きるのだそうです。先ほど引用したチクセントミハイ氏の5)に相当するんだろうなと思ってます。


②コントロールのパラドクス

次にコントロールのパラドクス。これは完全にスポーツで説明するのがわかりやすいですね。人は何かの動作を上手くやろう、コントロールしようとすればするほど心を乱したり緊張して、コントロールできない状態になってしまいます。

ところが、フロー状態に入るとこのコントロールをしようという意識すらなくなります。そしてその結果、究極的にコントロールできる状態になるというパラドクスが生まれるのです。”真のコントロールを得たければ、コントロールを手放せ”という事。深いですね。。。


③努力のパラドクス

3つ目は努力のパラドクス。そろそろ考え方に慣れてきたでしょうか。

ここはちょっとまだ自分でも腹落ちし切れていないところがあるのですが、「努力感を感じない努力」という事。

ある動作や作業を言語化して、それをなぞろうとすると結構ストレスですよね。これには努力が伴うという事です。

今更、包丁の持ち方から切り方まできっちりと教科書を見ながら矯正させられるのって多分な努力感を感じますよね?

でもその動作が無意識レベルで行えるくらいになっていたらどうでしょう。努力とは感じない作業になりますよね。フローに入ると、やはり無欲というか”頑張ってあれをやろう”みたいな感覚がなくなるので、努力をしているはずなのにその感覚はなくなる。おそらくこういった事なんだろうなと解釈しています。


④意識のパラドクス

4つ目は意識のパラドクス。フロー状態になると、目の前の課題に集中しているはずなのに(中心意識)、周囲の状況も認識できている(周辺意識)という矛盾した状態になります。

周りの会話がなんとなく頭に入ってきているのに、目の前の作業に没頭できている瞬間がありませんか?あるとしたらそれはフロー状態だったのかもしれません。

仏教でいう「見性(けんしょう)」という言葉と近いようです。目の前の課題(客体)と自分(主体)が同一となる感覚。う〜ん、この辺はさらに深掘りが必要ですね。

見性(けんしょう)とは、人間に本来そなわる根源的な本性を徹見すること[1]。性(しょう)は本来、煩悩に汚されることはなく、それ自体で清浄なものであり、この自性清浄心に気づくことを指す[1]。
性(しょう)を仏性、法性、心性ともいうので、見仏性、見法性、見心性、あるいは見心見性、などと使用する[1]。


ここまででフロー(ゾーン)がどういった状態なのか少しイメージできたでしょうか。本当はサクッと書いて終わる予定が簡単な紹介だけで結構なボリュームになってしまいました。

・結局パラドクスって何さ?

・どうやったらフローに入れるの?

・入れたとしてどうやって活かすの(仕事とか)

この辺については続編ということで!

自由にフローに入れたりはしませんが、入りやすい条件があるんです。

仕事でもなんとなくつかめてきた気がするので後々ご紹介いたします。


それでは今日はこの辺で失礼いたします。




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