1962年5月3日 三河島事故

幼い美乃ちゃんがお風呂屋さんで菖蒲湯に浸かりながら近所のおばあちゃんから聞いた話

「アレはオリンピックのちょっと前の年だったね。ちょうど今頃、そう躑躅が咲いてる頃だったね。夜、お風呂からの帰り、常磐線のガードんとこ通ったらさあ。なんかガヤガヤうるさくってさあ。なーんだろ、と思ってたら今度はドッカーンだかガッシャーンだかいう音とギャーって声がしてさあ。「事故だーっ」「救急車ー!」とか「ギャー」て叫び声とかしてさあ。びっくりしてすぐにガードんとこ行ったのよう。そしたら男衆(おとこし)が集まって、怪我人を線路から降ろそうとしてて。地面がなんだかヌラヌラしてて。いや、暗かったから、その時はそれが血だってわっかんなかった。まあみんなで騒いでるうちにぼちぼちおまわりさんだの救急車だの来たけど全然手が足りなくて。怪我人、大八車に載せたりなんかして、ホラあそこの✖️✖️病院なんかに運んだりして。でも、何人もが、もうバラバラになってて。手とか足とか、あっちこっちに飛び散ってて。次の朝んなってみたら、まあそこら中、血と油だらけでさあ。電車ひっくり返ってたって。なんか、脱線した電車に、後からきた電車が突っ込んだんだって。まあ大騒ぎでさあ。結局160人死んだって。病院連れてったけどね、間に合わないで、大八車の中で息引き取った人もいたって。そのあと死んだ人の身元を調べて、遺体を家族に返したんだけどさあ。一人だけ、どうしてもどこの誰だかわかんない人がいて。どっかの国のスパイだとかなんだとか、随分いろんな噂が出たもんだよ。
ホラ、美乃ちゃんも知ってるだろ、ガードのとこ、ちょっと黒いだろ、あれ、そん時の血が染み込んじまったんだよ」おばあちゃんは、歯のない口を大きく開けて、何がおかしいのか、ニッカリ笑った。
美乃ちゃんは、熱いお湯で顔が真っ赤だというのに、背すじがゾクゾクした。
その夜。美乃ちゃんが布団の中でウトウトしていると、遠くからゴトンゴトン、と電車の音が聞こえる。何やらワーワーいう叫び声も。「お母さん!」美乃ちゃんは泣きながらお母さんの横に滑り込む。「お母さん、あれお化け電車の音?死んだ人が呪ってるの?」母は寝ぼけながら、それでも頭を撫でてくれた。「そんなわけないだろ、あれは貨物列車の音だよ。死んだ人は供養したんだから、化けて出るわきゃあない」言うと、すぐに寝息をたててしまった。美乃ちゃんは眠れず、ずっと母の心臓の音を聞きながら震えていた。
ずいぶん大人になってから、近所のお寺に観音さまが建立された事を知り、お参りに行ったことがある。「国鉄」の文字があった。
当時は、東京を23区に区分けする最中で、この辺りは「三河島区」になることがほぼ決まっていたのに、この事故で地名が悪名とともに広まったため、土壇場で変更になったことも知った。
今ではATSが整備され、同様の事故は起こらないとされている。

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