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『大麻神社百年の歩み』(平成12年発行)

『大麻神社百年の歩み』(平成12年発行)

大麻神社だから大麻と関係があるかというと、、、無かったけど、あった(笑)。

この大麻って「大曲」と「麻畑」と「樹林地」っていう3つの部落が昭和10年に合併してできた名前、、、残念、、、ん?麻畑?

ということで、麻畑。
この麻畑は、、、明治22年に野幌屯田兵が大麻の栽培を奨励され、最も好適地で多く栽培されたので「麻地」または「麻畑」って呼ばれてたらしい。とはいえ、明治26年の春に野幌屯田兵村に身を寄せていた山口県からやって来た福屋角助が入植したのがはじまりらしいから、好適地であり麻畑と呼ばれるようになったのは明治26年以降となるのかなぁ。

そこに作ったのが麻畑神社。この麻畑神社と大曲神社、そして十二錦山神社を合祀したのが現在にまで続く大麻神社のようだ。

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江別市のHPによると、「野幌兵村(野幌屯田)は、明治18(1885)年の138戸と翌19(1886)年の87戸、計225戸の入地によって形成され、江別兵村(江別屯田)と6丁目通を境にして10丁目通にかけて配置されています。17.5坪の和式兵屋で、給与地は1戸4千坪でしたが、後に四番通北側の現元野幌や大麻方面に追給地が与えられています。」ということだから「後に」というのが明治26年なのだろう。

でもって、「兵村では、麦・豆類、馬鈴薯などの他に養蚕と麻の栽培が勧められ、野幌駅の鉄道沿線一帯に桑園、大麻方面には麻畑が広がっていたのです。大麻の地名は、当時札幌寄りを「大曲」、野幌寄りを「麻畑」と呼んでいたので、その頭文字を組み合わせて「大麻」と名付けたと言われています。」

ということで、大麻の大は大麻では無かったけど、大麻の麻は大麻だった、という感じで(笑)

※追記 大麻神社自体の歴史は↓

明治33年、麻畑(現在の江別市大麻の一部)に最初に入植した福屋角助が大麻の小高い丘に「八百萬神」と記した角柱を建て祭りを行っている。同年、大曲の平本与三吉の宅地にも小祠を建立し祭祀し、続いて明石石之助も小祠を建立し「十二錦山神社」として開拓者の寄りどころとした。この3つの神社に、大正八年他地区にもあった小祠の2柱を合祀し、現在の位置に本殿拝殿を御造営し社名を大麻神社と呼称し、この五柱神を「開拓祖神」として今日まで崇められている。

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