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スケボー入手|スケボーの記憶 #2

おはようございます。台風が来るそうですね。今夜から明日にかけて荒れるそうです。買い物は今日の夕方までには済ませておきたい気分です。

さて、前回は小学校を卒業したぼくがサイパンという異国の地に上陸するまでのお話でした。英語を覚えなきゃだったり、日本人学校に通ったり、とても大きな変化があった時期を振り返っています。

それで今回は、スケボーの話です。そもそも、なんで僕はスケボーをやりたいと思ったのか、という話ですが、具体的なきっかけというのは覚えていません。でもついにサイパンで初めてのスケボーというのを入手するわけです。ぼくがサイパンに滞在したのが3年間、スケボーに夢中になっていたのが約2年間だったので、上陸してすぐにスケボーデビューしたわけではないと思います。おそらく、サイパン生活がはじまって半年かそれ以上か、それくらいの期間はあいていたと思います。

人生初めてのスケボー、どんな感じだっただろうか。どこかの店(ラフェスタ?どこだろう忘れた)で親に「やってみたい!」と買ってもらいました。いわゆる安物スケボーでした。

スケボーというのは専門ブランドのものと安物というのがあり、前者が一式で1万円以上、後者は数千円で買えたりします。安物だとやっぱり品質が落ちるので、滑り心地というのは専門ブランドには劣ります。でもお金がなくて買えないくらいだったら安物からスタートすればいいじゃん!というスタンスではあります。ただ「専門ブランドはもっと滑り心地がいいんだ」というのは脳の片隅に入れておくといいでしょう。

専門ブランドってどれ?と思うかもしれませんが、ここでブランドリストをずらっと並べるわけにはいきませんので「スケボー専門店で買えば問題なし」くらいに思ってください。

ちょっと解説をはさみましたが、ぼくの話ですよね。初めて買ったスケボー、たぶん30〜40ドルくらいだったんでしょうか、想像するに。で、グラフィック(板のデザイン)が北斗の拳だったんですよ。いや、厳密には北斗の拳ではなかったのですが、明らかにそれを意識しているデザインでした。ムキムキの男性が燃えるオーラで「あちょー!」と言いたげにこっちを見ている。線も太い。そんなグラフィックでした。

当然ぼくはスケボー未経験でしたので、家の前で乗ってみるわけです。ちなみに、当時の家はたくさんの家が大きな冊で囲われていて、入り口にセキュリティがいて、日本人がたくさん住んでる、みたいな環境でした。洗濯機は家にはなく、毎日母親が洗濯小屋まで行っていたのを覚えています。よくうろついている猫もいて、みんなでキャサリンという名前をつけました。この猫はある日、うちの裏で子供をたくさん産むことになります。

それでスケボーの話なんですが、父親に乗り方を教えてもらったことを覚えています。チックタックという、ボードを左右に振って進む基本動作があるのですが、それを父親が見せてくれていました。ぼくは練習するわけですね。ただ、あくまでその内容は「スケボーで滑る」という域にとどまるものでした。

そんな僕に「ジャンプとかできるんだよ」と技の世界を見せてくれたのがロビンでした。日本人学校のクラスメイトのヒロくんを前回紹介したのですが、ちょっと思い出すと、ぼくがここに通うなかで自然とヒロくんと友達になった感じではなかったようです。これについては帰国してずいぶん経って聞く話なのですが、ぼくのことを気遣って母親がヒロくんに「うちの子供の友達になってくれない?」と直談判したそうです。それでヒロくんと友達になれたと記憶しています。いやぁ、マジで内向的すぎたんだなぁ俺は。

当時、ロビンはすでにスケボー歴1年くらい?あったみたいで、オーリーというジャンプをする技もできていた。そんなロビンにスケボーを教えてもらうことになるのですが、どうつながったかというとヒロくんですね。ちょっと詳しい事情はわかりませんが、たぶん、ロビンとヒロくんで「スケボーしよう」みたいな話になって「そういえばヨシもスケボーするよ」という流れだったかもしれません。こうしてロビンにオーリーを教えてもらいます。

「スケボーしてみたい!」と買ってもらったけど、当時のぼくにとってのスケボーは「乗る」「滑る」ものだったのですね。でも実は、その先にはジャンプしたり回したりという「技」の世界が広がっている。そんな世界を教えてくれたのがロビンです。

今回はこんな感じにしておきます。ちょいと短めですね。次回は、いよいよスケボーの練習風景、オーリーについて書いていきます。ではまた。

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