見出し画像

反復する音楽とその複数の時間──スティーヴ・ライヒの《イッツ・ゴナ・レイン》と《ピアノ・フェイズ》を比較して

ミニマル・ミュージックの作曲家スティーヴ・ライヒ(1936–)は、《ドラミング》や《18人の音楽家のための音楽》《ディファレント・トレインズ》といった作品でよくしられている。その経歴はきわめて多岐にわたる手法や作風におよんでいるが、かれの初期作品のほとんどで耳にすることができる特徴は、さまざまなタイプの位相のずれだ(コープ 2011)。

1965年に完成した《イッツ・ゴナ・レイン》は、位相のずれをもちいたライヒの代表作だ。サンフランシスコの街頭で説教する黒人牧師の声、テープに録音されたこの声が素材となる。第一部分は、牧師がノアの洪水のくだりを説教する「It’s gonna rain」、第二部分は「Knocking upon the door, let’s showing up, Alleluia, God, I didn’t see you」が反復パターンとしてもちいられ、そこに「漸次的位相変移プロセス」がほどこされる。すなわち、複数のテープがことなる速度でこの反復をくりかえし、位相のずれを発生させるのだ。2本のテープ・ループをつかった第一部分では、1本は速度の変化なしに反復し、もう1本は徐々に速度をあげていき、ふたたび2本がユニゾンとなる。第2部分は、テープの反復が二声から四声へ、さらに八声へと拡大されていく。(小沼 2008)

音楽の時間構造というものを、これほど明確に提示し、同時にあいまいにする作品もめずらしい。この作品の第一部分では、ユニゾンからはじまった反復パターンが徐々にずれて、モアレ現象をひきおこし、ふたたびユニゾンへと回帰していく。きわめて単純明快な時間構造であり、1曲のながさにちかい周期をもったポリリズムであるといえるだろう。しかし、この時間構造を、きき手は容易に感じとることができない。反復されるフレーズはごくみじかいが、その反復は無限につづくかのようにきこえる。変化しつづける位相のずれは、おおきな時間構造の一部をなしているが、反復というちいさな時間構造がそれをおおいかくす。いま作品のなかのどこにいるのか、聴き手にはほとんどわからないのだ。この作品を耳にするとき、きき手は逆説的に無時間的な時間のながれのなかにほうりこまれる。かろうじて時間のながれを想起させるものは、ユニゾンからはじまり、ながい周期をもってふたたびユニゾンへとうつりかわる位相のずれだけなのだ。

《ピアノ・フェイズ》(1967年)は、この「漸次的位相変移プロセス」の技法を、生身の音楽家によって演奏される楽器に適用した作品だ。この作品は、しかし《イッツ・ゴナ・レイン》の場合とはちがって、時間のながれを意識させる。その理由は、《ピアノ・フェイズ》が明確な調性をもった楽音とグリッド的な拍節構造にのっとった反復フレーズによって構成されているからではないかと、わたしはおもう。いっぽうの《イッツ・ゴナ・レイン》は、調性もグリッド的な拍節構造ももたない声を反復フレーズとする。すなわち、《イッツ・ゴナ・レイン》は非グリッド的゠非楽音的、《ピアノ・フェイズ》はグリッド的゠楽音的であり、このちがいが両者にことなった時間構造をもたらしているのかもしれない。

この比較から、《イッツ・ゴナ・レイン》に特有の時間構造があらためて特徴づけられる。それは、明確な周期をもったおおきな時間構造、それをあいまいにする反復するちいさな時間構造のかさねあわせだ。この時間構造の重層性によって、きき手は同時に複数の時間を経験するのだ。

(初出 2022年4月4日)


コープ、デイヴィッド 2011『現代音楽キーワード事典』春秋社
小沼純一 2008『ミニマル・ミュージック─その展開と思考─(増補新版)』青土社

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?