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【埼玉・鳩ヶ谷】かつての宿場町らしい雰囲気は残っているんだろうか

「悩み事は、散歩して忘れるのが一番。まあちょっと外へ出てみたまえ。ほら、悩みごとなんか、翼が生えて飛んで行ってしまう。」(Dale Breckenridge Carnegie)。

 赤山城址から鳩ヶ谷へのウォーキング、前回の記事は以下のリンクからご覧ください。

 今日の記事では、伊奈家の菩提寺源長寺、鳩ヶ谷宿の様子について書きますので、最後までお読みいただければ幸いです。



伊奈家とともに栄枯盛衰、菩提寺の源長寺へ

 源長寺は赤山城址に隣接、伊奈家の改易とともに没落して今日の姿にまで復興したのは昭和末期のことだったんだとか。

 伊奈家改易の理由を簡単にまとめておきます。

  • 10代目伊奈忠尊の時代、天明の大飢饉対策のために買い付けた米の代金を返すことができず、幕府に延納を申請したが却下されたことでの幕閣と確執に

  • これを危惧した家臣からの家督委譲の連判状に対する断固たる対処が幕府への訴えに繋がった

 裏には幕閣の忠尊人気への危惧もあったという説もあるそうで、要は庶民にサービスして人気が出過ぎてしまったということのようです。


ソースみたらし団子を食べながら、鳩ヶ谷に宿場町の面影

 鳩ヶ谷宿は日光御成街道の宿場町、宿場の北辺にソースみたらし団子を置いている和菓子屋『中ばし』があります。かなり甘いソースで、好みは分かれると思いますけど、珍しいことは間違いないでしょう。
 鳩ヶ谷のメイン通りには宿場町の風景はほとんど残っておらず、そうと知って歩かなければ気付かないだろうと思います。ただ、街道に面する家の間口は狭いのは当時の面影。マンションも細長いのが多いのはユニークだなと。


鳩ヶ谷宿の総鎮守、氷川神社にお詣りしてと

 氷川神社といえば大宮が総本社、東京や埼玉に280社あって、鳩ヶ谷もその一つ。鳩ヶ谷は見沼のすぐ近くだったので、大宮とも水上で行き来できたのかもしれません。
 本殿はなかなか立派なもので、栄えていた鳩ヶ谷宿の総鎮守、そんな風格が漂っています。弁財天はやけに凝った造りで、溶岩のようなかなり大きな祠に鎮座していました。

 総括すると、説明板や町割りから当時の姿を空想しながら散歩するのが鳩ヶ谷宿の歩き方、ということですね。

当日のルート

当日のルート、トータル10km弱は歩いたと思います


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