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【埼玉・鳩ヶ谷】庶民に人気の関東代官頭、伊奈家の広大な城がこんなところに

「悩み事は、散歩して忘れるのが一番。まあちょっと外へ出てみたまえ。ほら、悩みごとなんか、翼が生えて飛んで行ってしまう。」(Dale Breckenridge Carnegie)

 寒い日が続くと家を出るのが面倒になりますけど、天気はいいし歩いても汗をかかないので、この季節は実はウォーキング向き。2020年の冬場は、東京から近いエリアの埼玉を歩いていました。
 本日の記事ではそのなかの一つ、鳩ヶ谷についてご紹介します。



鳩ヶ谷宿に向かって散歩、竹の小径が心地よい

 ウォーキングのスタートは埼玉高速鉄道の戸塚安行駅で、まずは江戸時代に建てられた三重塔がある西福寺へ。この三重塔は、埼玉県内で最も高い木造建築物なんだそうです。
 裏手には昔から使われていたであろう小径があり、これを進むと赤山城への近道。城があった当時は西福寺が堀の齟齬にあったようで、堀沿いの道だったんだろうと思います。赤山城址は東京外環道で二分されているものの、この小径からであれば下をくぐることができるんですよね。


200年前、鳩ヶ谷に大阪城並みの城があったとは

 赤山城があったのは、首都高川口線、外環道と埼玉高速鉄道の3つの線で囲まれたあたり。首都高の川口ハイウェイオアシスから行くのが最も近く、だだっ広い田舎の風景があるのみです。城の広さはなんと大阪城とほぼ同じ、広大な敷地に堀もしっかりと巡らされていた陣屋なので赤山城と呼ばれていたんだそう。
 城主は関東代官頭であった伊奈家、初代の伊奈忠次は利根川の東遷や江戸周辺の治水・開墾に尽力した人物。子孫が陣屋を構えていたのがこの地で、富士山噴火や天明の大飢饉時には被災者救援に尽力したので、伊奈家は庶民からの人気が高かったようです。
 ところが当主争いの内紛で1792年に伊那家は改易になってしまい、陣屋の建物や家臣の家は壊され、土地は払下げになって現在に至るんだとか。そんな歴史があったとは、これまで全く知らずでした。


蕎麦を美味しくする魔法のトッピング

 さて、お次はこの日のランチについて。
 首都高の川口PAには高速外からも入れるようになっており、『けやき食堂』でかき揚げ天玉蕎麦を食べてみました。
 かき揚げ蕎麦が美味いのは言うまでもないですけど、卵が加わるとコクが増して美味いですね。蕎麦も想像以上にいい味で、意外なところで美味しい蕎麦を食べることができたのに大満足でした。
 2022年4月に改装されて『けやき食堂』は閉店となりましたけど、新しくできた『麺所 衎衎亭』か『かまど炊きごはん 和楽』で同じものを食べられるようなので一安心。


 本日は以上にしてと、来週はこの度の続き、鳩ヶ谷宿について書くことにしますのでどうぞお楽しみに。

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