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【Voicy】究極の未来への投資は子育てだ #未来への投資(2021.9.11放送)

こんにちは、吉塚康一です。私は会社経営の傍ら近代史を研究し、「百年ニュース、毎日が100周年」という放送をお送りしています。本日はいつもとは違いまして、Voicy編集部が募集していた「#未来への投資」というテーマで放送を収録してみたいと思います。タイトルは「究極の未来への投資は子育てだ」です。よろしければ最後までお付き合いをお願いします。

さて未来への投資というテーマです。広辞苑で「投資」という言葉を調べると、まず第一の定義として、「利益を得る目的で、事業に資金を投下すること。出資。」と出てきます。続いて第二の定義が、「比喩的に、将来を見込んで金銭を投入すること。」と出てきます。いずれにしても、投資の定義には、それによって得られる「将来のリターン」が前提になっている、ということになるかと思います。将来のリターンが見込めない状態で、金銭を投入するとすれば、それは消費である。将来のリターンを生むのであれば投資である。そのような整理は特に異論なく出来そうです。

また時間軸で整理してみても似たような結論が出ます。投資で得られるものはあくまでも「将来のリターン」です。金銭を投じた瞬間に何らかのリターンが生まれるのであれば、それはやはり投資ではなく消費と考えらます。

さて広辞苑の定義をさらに検討してみます。第一の定義では、金銭を投じて、その利益、すなわちやはり金銭が戻ってくる。第二の定義では、比喩的に、と言っていますが、リターンは金銭に限らない、ということになるかと思います。お金を投じてお金が返ってくる投資、つまり第一の定義の投資、これは完全にファイナンスの世界の話です。この種の投資は、証券会社などの金融機関やフィナンシャル・プランナーに相談する話でしょう。

一方、第二の定義はどうでしょう。比喩的に使うほうの定義です。何が返ってくるのでしょうか。投じる方の資源は金銭はもちろんですが、それだけではなさそうです。時間や精力も含まれそうです。金銭・時間・精力などを投資して、将来何が返ってくることを期待しているのでしょうか。おそらくは「自己実現」や「将来の出世」のような「ありたい自分」に近づく何らかの成果、あるいは「将来の不安を打ち消してくれる何か」を期待している、ということかと思います。

今回Voicy編集部で決めたテーマである「未来への投資」の内容も、この第二定義のほうに重心があるように思えます。第一定義のファイナンスの投資であれば、しっかりとした金融知識に基づいて語れる人は限られますので。第二定義の投資では、本を読んだり、スクールに通ったり、身体を鍛えたり、これらが話題に入ることを前提しているように思えるからです。

ありたい自分に近づくため、自己実現のため、今よりも充実した人生を将来送ることを期待し、金銭・時間・精力などを投資する。即物的な消費ではなく、将来のため、未来のためにそららを使う、ということです。

ところで「ありたい自分」は千差万別なので、求めるリターンも千差万別となります。よって「未来への投資」とは、どのような将来像をその人が持っているか、という質問と似てくるわけです。リターンが違うので投資も違う。将来像が似ていれば参考になるし、違っていれば参考にならない。すべての人に共通する投資、第二定義の投資ですね、これはなさそうに思えるわけです。人生いろいろ、将来像もいろいろ、ということです。

ところがひとつ、共通する将来像がある。これは人は必ず死ぬ、ということです。私の座右の銘、Carpe Diem Memento Mori、です。これはラテン語ですが、日本語で言うと、今日を掴め、死を思え、です。英語では、Catch The Day Remember The Death、となります。つまり人は必ず死ぬ。すべての人は死ぬ。すべての人の将来像に共通するものは死です。

死という将来像は全ての人に共通する。先程の定義から導き出されることは、死という避けられない将来像を前提としたリターンは、すべての人に共通するということです。

そこで私が考えるのは「子育て」です。子育ては大変なこともありますが、それ自体が非常に楽しいものであり、子育てを通じて得られるものは大きいです。自分も、つまり親も大変成長します。そして日々大きな喜びを得ることが出来ます。しかし子育ては消費ではありません。日々喜びを得ながらも、同時に将来大きなリターンを生む可能性が極めて高い、最高に効率の良い投資でもあるわけです。

それはなぜでしょう。すべての人に共通する将来像である「死」を緩和してくれるからなのです。子供が生まれると、寿命が延びたような気がします。野球は9回までですが、その野球の試合が、スコアに関わらず18回までの延長戦が約束されたような気分になります。目の前の子供が毎日すくすく成長していく様子を楽しむだけではなく、子供の将来が楽しみになったり、ときには不安になったりします。これはすなわち時間軸が将来に向けて伸びたということです。

このような投資はほかにありません。自己実現への投資、これは自分が生きている間にだけ有効です。投資の内容によってはリターンの可能性も不確実かも知れません。また私のように50歳になりますと人生は半分以上終わっていますので、仮にリターンが得れても、そのリターンをエンジョイできる期間が短くなるわけです。リターンをエンジョイできる期間を考えると、次の世代への投資、これほど効率の良いものはありません。

次世代に投資することだってリターンが不確実じゃないかという声もあるかも知れません。それはもちろんです。英語を学ばせても英語はしゃべれない、ピアノを学ばせてもピアノを弾けない、学習塾に入れても成績がよくならない。そのリスクは常にあります。不確実です。確実じゃないからこそ投資なのです。しかし考えてみましょう。自分が、つまり親が英語を学ぶ、親がピアノを学ぶ、親が学習塾に行く、これに比べれば、成果が出る確率は高い。子供の将来は可能性に満ちています。ここに投資すべきです。

また自分を振り返ると、自分が子供の頃は親の事なんか知ったことか、となります。親孝行しなさいと言われても、いまいちピンとこない。自分優先です。ところが一定の年数を経てくると、やはり親のことを大事にしたくなる。親のことを思うようになる。年を取れば取るほど、自分の親を大事にしたいという気持ちが芽生えてくる、感謝の気持ちがわいてくるのです。それが人間です。だとすれば、自分の子供がどのようになろうとも、何物にもなれなかったとしても、最後の最後、ボトムラインとして、年老いた自分の子供たちが、親の事を思い出す、自分の事を思い出す、これだけは100%、絶対に確実です。このような割のいい投資があるでしょうか。それが私が子育てこそ究極の投資と考える理由です。

ということで、本日は「究極の未来への投資は子育てだ #未来への投資 」というタイトルでお送りいたしました。もし宜しければ是非フォローをお願い致します。以上「100年ニュース」「毎日が100周年」吉塚康一でした。ご機嫌よう。


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