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【百年ニュース】1921(大正10)7月4日(月) ロシア共産党中央委カフカース局でナゴルノ・カラバフ帰属決定総会開催,同地のアルメニアへの帰属が決まる。しかしアゼルバイジャン革命委員会議長ナリマン・ナリマノフが強硬に反対。翌日スターリンも交え再投票となり今度はアゼルバイジャン帰属へと覆った。

ロシア共産党中央委カフカース局でナゴルノ・カラバフ帰属決定総会開催,同地のアルメニアへの帰属が決まりました。しかしアゼルバイジャン革命委員会議長ナリマン・ナリマノフが強硬に反対,翌日再投票が行われ今度はアゼルバイジャンへの帰属に覆りました。このたった1日での帰属変更の背後にはヨシフ・スターリンの強い意向が働いていたと言われています。当時のスターリンはレーニンに次ぐロシア共産党のNo.2をトロツキーと激しく争っている頃でした。

スターリンはロシア帝国のカフカース地方,現在のジョージア,当時の呼び名はグルジアですが,ジョージアの首都トビリシの西方76㎞にあるとゴリで生まれました。1878年のことです。生まれ故郷のカフカースは多民族が混在する状態で緊張感の高い地域でしたが,その民族間問題に対する政策に関しては大きな力を持っていました。1923年7月,党書記長となっていたスターリンはナゴルノ・カラバフがアゼルバイジャンに帰属する自治州であることを確定させました。

ナリマノフは穏健でありながらも,カリスマ性を持つ穏健なナショナリストであったとされ,スターリンの親友でもありました。ナリマノフは1922年3月12日,アゼルバイジャン共和国初代代表となりましたが,1925年3月19日に54歳で亡くなりました。

ナリマン・ナリマノフ

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ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンに帰属しながらも,アルメニア人が多く居住する地域です。アルメニア系の地域住民による自治運動やアルメニア編入運動がしばしば起きていましたが,冷戦終結後の1991年9月2日には独立宣言を発せられて紛争が激化しました。

紛争と停戦,そして紛争再発が繰り返されましたが,昨年2020年9月27日より大規模な戦闘が発生し,アルメニア軍とアゼルバイジャン軍の全面的な衝突に発展しました。アゼルバイジャン軍はドローンの多用した戦術によりアルメニア軍を圧倒,停戦協定によりナゴルノ・カラバフ地域からアルメニア軍が撤退することとなりました。

昨年の紛争ではアゼルバイジャン軍がアルメニア軍を圧倒。ロシアは両国を自国勢力圏に留めるため敢えてアルメニアを見捨てた。そのロシアの思惑を的確に読んだアゼルバイジャンが「兄弟国」トルコの支援を受けて勝利した構図。

小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』ちくま新書,2021


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