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【百年ニュース】1921(大正10)4月28日(木) 北原白秋が三度目の結婚。(旧姓佐藤)菊子は大分高等女学校卒の才女で,「大きな赤ん坊」と言われた白秋の最後の妻となった。21年半に渡り家庭の安らぎをもたらし,1937(昭和12)視力を失った夫を献身的に支えた。1983(昭和58)没,享年93。

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詩人、童謡作家の北原白秋が三度目の結婚。前年5月に前妻江口あやことは離婚していました。三度目の妻である(旧姓佐藤)菊子は大分高等女学校卒の才女で,「大きな赤ん坊」と言われた白秋の最後の妻となった。白秋と菊子が初めて出会った時、白秋は35歳、菊子は31歳でした。菊子は21年半に渡り家庭の安らぎをもたらし,1937(昭和12)視力を失った夫を献身的に支えました。

菊子の新婚生活は過酷で、連日の来客や原稿催促のため白秋の家に泊まりこむ編集者の接待、徹夜で執筆する白秋に付き添っての世話、そして時折の白秋との齟齬などで、身心の過労による発熱で、精魂尽き果てたような状態になることもありました。しかし菊子は母より受け継いだ宗教心から、よく内省し、自己を律し、耐えたと言われています。子供が生まれてからはその成長と共に、孤独感も徐々に薄れていったと回想しています。1983(昭和58)没,享年93。

北原東代『非凡なる凡婦 白秋の妻菊子』春秋社(2008)。白秋の3番目の妻・菊子の人となりをきめ細かに描いた瑞々しいドキュメント。白秋の晩年を支えた伴侶として,家庭人としての姿にふれながら,その「非凡さ」ぶりと教養人としての慎ましやかさを,12年間、生活を共にした著者(長男・隆太郞の嫁)が愛情込めて描きました。

なお、北原白秋の最初の妻は松下俊子と言いますが、もともと人妻でした。夫・松下長平とともに東京・原宿に住みました。1910年、明治43年自宅の隣に詩人北原白秋が転居してきます。俊子は夫の女性関係について白秋に相談するが、やがて二人は恋愛関係となりました。しかし、夫がこのことを知り姦通罪で訴えたため、45年7月二人は市ヶ谷の監獄に拘留されることとなりました。間もなく示談が成立し、俊子は長平と協議離婚、白秋と結婚しました。しかしやがて離婚。俊子の二度目の夫は奈良県の医者でした。のち敏子はこの医者からも家出。昭和4年京都山科の貧者救済の施設「一燈園」に入り、4年後には東京国立音楽学校の寄宿舎の監督者になりました。なかなか波乱万丈です。

また北原白秋の二番目の妻は詩人の江口あやこですが、白秋と離婚後は実家のある大分に戻り、別府の伊藤家別荘に逗留していた柳原白蓮を訪ねて身を寄せていたこともあったと言います。1921年(大正10)年には京都の大徳寺芳春院に入り、1923年(大正12年)に一休寺の住職と結婚しますが、2か月後に家出したとのことでこちらも波瀾万丈です。あやこは1938年、昭和13年に岐阜県で剃髪し尼、尼僧になりました。晩年は大分の実家に戻り、1946年58歳で死去しました。

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