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【百年ニュース】1922(大正11)1月4日(水) 女優の大河百々代が東京で誕生。本名は大川世喜子。父は大都映画創立者の河合徳三郎。東京高等音楽学院大塚分教場(東邦音楽大学)在学中,12歳で映画デビュー。わずか6年のキャリアで100本以上に出演。1940(昭和15)益田晴夫監督『愛情の権利』が遺作。享年18歳。

女優の大河百々代おおかわももよが東京で誕生しました。本名は大川世喜子。父は大都映画創立者で民権新聞社社長や東京府会議員も務めた実業家の河合徳三郎です。河合徳三郎はこの頃政友会系の大日本国粋会を脱会し、憲政会系の大和民労会を結成したころでした。

河合徳三郎の三人の娘は全員女優となりました。長女の琴路美津子、次女の大川百々代、そして異母姉妹の三城輝子です。大川世喜子は旧制東京高等音楽学院大塚分教場(東邦音楽大学)在学中に12歳で映画デビュー。大江秀夫監督、隼秀人(ハヤフサヒデト)主演のサイレント映画『俺は日本人だ』という作品でした。

翌年の1935(昭和10)年には、俳優の隼秀人と姉の琴路美津子が結婚して引退。妹の大川百々代が隼秀人の相手役としてヒロインを務めるようになりました。わずか6年のキャリアで100本以上に出演しました。

しかし1940(昭和15)年に益田晴夫監督『愛情の権利』が遺作とし、病のためわずか18歳で早世しました。

大川百々代(1922-1940)
大伴麟三監督『轟く天地』(1938年)
続々と大陸へ進出 賑わう各社の撮影隊(1939年4月5日)
大川百々代(1922-1940)


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