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【百年ニュース】1920(大正9)7月16日(金)日本政府、安直戦争に関し「絶対不干渉」を声明。日本軍が育成した辺防軍三個師団が、内戦不参加の公約を破り安徽派側で戦闘参加。直隷派は自派の優勢誇示のためこれを宣伝。日本政府も黙認。中国国内の反日世論が沸騰し、日本政府は釈明に追い込まれた。

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広東省記者団の一員として来日中の南方政府要人唐宝鍔は7月13日内田康哉外相を訪問。中国の南北分裂、またこの度の北方政府の分裂は、段祺瑞(安徽派)を支持し続けた日本政府に責任ありと非難。一方で直奉二派は清朝復辟の陰謀ありとの情報。南方政府は共和制廃止を最も嫌う。

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1920当時愛新覚羅溥儀は14歳。溥儀は2歳で清朝皇帝となるも辛亥革命により5歳で退位。「清朝退位優待条件」により退位後も紫禁城(および頤和園)で生活し、中華民国政府から毎年400両の支払いを受けた。1917張勲復辟事件により13日間のみ王政復古。以後も政変時に度々政治利用による復辟が警戒された。

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