見出し画像

【百年ニュース】1921(大正10)3月16日(水) トルコ共和国とソヴィエトがモスクワ条約(平和条約)に調印。アタチュルクのトルコ大国民議会(アンカラ政府)が正式に承認された。同年10月には本条約とほぼ同内容のカルス条約によって,トルコとジョージア,アルメニア,アゼルバイジャンとの国境線が確定した。

画像1

画像2

ムスタファ・ケマル・アタテュルク

この日ムスタファ・ケマル・パシャ指導下のトルコ大国民議会(アンカラ政権)と、ウラジーミル・レーニン指導下のボリシェビキ政府は友好条約を締結した。 「ブラザーフット(兄弟分)条約」(Treaty of Brotherhood)とも呼ばれているが、正式名称は「モスクワ条約」で、ロシア語でМосковский договор、トルコ語ではMoskova Antlaşmasıとなる。1921年10月23日にはカルス条約(Treaty of Kars)によって内容が強化された。


よろしければサポートをお願いします。100円、500円、1,000円、任意のなかからお選び頂けます。いただいたお金は全額、100年前の研究のための書籍購入に使わせていただきます。サポートはnoteにユーザー登録していない方でも可能です。ありがとうございます。