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【百年ニュース】1921(大正10)4月6日(水) 浅草で火災発生。田町一丁目の俳優中村富右衛門宅が火元。留守番の家政婦が朝食準備中に外出し失火。4年前に新校舎が竣工したばかりの東京市富士尋常小学校(現台東区立藤小学校)が全焼。象潟町の寺院が悉く炎上。6時間後に鎮火。罹災者は6,500名に登った。

真昼浅草の大火 千百余戸を焼く
吉原土手下より公園裏まで遮るものなき焦土 
午後2時26分、六時間燃えて鎮火 火元は俳優中村方


6日午前8時40分頃、浅草田町一丁目37番地、俳優中村富右衛門方より発火、北西の烈風のため田町一丁目16番地から80番地までの一帯をひとなめにし、一方元火は吉原堤を越え地方今戸町に延焼したが、10時頃風は巽(たつみ:東南の方角*)に変じ、千束町三丁目の一部、象潟町のほとんど全部を焼き、吉原遊郭方面に迫らんとした頃(11時)、風はまた北西と変じ、馬道七八丁目を二手となり並行して公園に向かい、正午近く三度風は巽に変じ観音裏の千束町二丁目新開大道に燃え広がって、風も衰え今戸町堤防は同町97番地の掘割にて止まり、田町一丁目は45番地角の共同便所付近にて食い止め、猛火の風下となった千束町三丁目の火の手は二丁目41番地(宮古座裏手)にて、象潟町は同町3番地にて、また馬道町は七丁目1番地小林清章方にて食い止め、午後2時20分全焼1,155戸、半焼77戸を出して鎮火せるが、その区域田町馬道7丁目の全部および千束町三丁目東側一部、象潟町の東部八、九、十丁目の一部、馬道一丁目の馬道通りに面せる一小部分、その区域長さ五町、幅一町、坪数約27,000坪、損害約300万円以上におよんだ。火元主人は目下従業中不在なるが、留守番の雇人中田かつ(43)が朝飯を焚きつけたるまま外出せしため出火したるものなりと。

東京日日新聞 1921年4月7日(*引用者註)

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