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【百年ニュース】1921(大正10)12月8日(木) 編集者の坂本一亀が福岡県甘木市(現在の朝倉市)で誕生。日本大学在学中に学徒出陣。満州の通信隊だった。復員後河出書房に入社。三島由紀夫『仮面の告白』等戦後の純文学をリードする編集者として活躍。音楽家の坂本龍一は長男(一人っ子)。2002没,享年80。

編集者として

伝説の編集者とよばれた坂本一亀かずきが福岡県甘木あまぎ市(現在の朝倉市)で誕生しました。1943(昭和18)年に日本大学法文学部国文学科を繰上げ卒業となり学徒出陣で出征し、満州の通信隊などに配属されました。1945(昭和20)11月に満州から苦労して引き揚げてきた経験から、残る人生は余生であるとの人生観を持つに至ったとされます。

故郷の福岡で小さな同人誌を発行していましたが、1947(昭和22)年1月に河出書房に入社し、編集者としての道を歩み始めます。ロシア文学者の米川正夫の担当となり、個人全訳『ドストエーフスキイ全集』全18巻(第3次)を刊行します。この全集により米川は1953(昭和28)年に読売文学賞を受賞しています。

坂本一亀

三島由紀夫

坂本一亀は新人作家の発掘に情熱をかけました。そして坂本の名前を有名にしたのが、1949(昭和24)年7月に河出書房から出版された三島由紀夫『仮面の告白』です。

三島由紀夫は1947(昭和22)年11月に東京大学法学部を卒業し、翌月高等文官試験に合格、大蔵省に入省し銀行局国民貯蓄課に配属されました。翌1948( 昭和23)年1月に雑誌『進路』に三島の短編「サーカス」が掲載され、他にもいくつかの短編が発表されました。三島は役所と執筆活動の二重生活により睡眠不足と過労に悩まされます。

そんななか同年8月下旬に坂本一亀が大蔵省に三島を訪ね、長編の書下ろし小説の執筆を依頼します。三島はこれに応じ「この長篇に作家的生命を賭ける」と宣言、9月2日には大蔵省に辞表を提出し、職業作家となることを選択しました。そして三島が自己体験を赤裸々に描いた『仮面の告白』は大成功を収め、三島の代表作となりました。

三島由紀夫

長男坂本龍一

1951(昭和26)年に坂本一亀が担当した仕事が椎名麟三『赤い孤独者』、翌1952(昭和27)年2月には、野間宏の書き下し長編小説『真空地帯』を世に送り出します。『真空地帯』は毎日出版文化賞を受賞し、同年山本薩夫監督、山形雄策脚本で映画化もされヒットを収めました。

坂本一亀の妻の敬子の旧姓は下村で、実業家の下村彌一しもむらやいちの孫になります。帽子デザイナーとして銀座の宝石商に勤務していました。そしてこの頃、1952(昭和27)年1月17日に、一人っ子となる息子龍一が生まれます。それがのち世界的な音楽家となる坂本龍一です。ちょうど野間宏の『真空地帯』が出版される1か月前にあたるので一亀が忙しくしていた頃でしょう。

坂本一亀と妻の敬子

小田実

また1960(昭和35)年にはもう一人伝説的な新人を発掘します。小田まことです。小田は1958(昭和33)年フルブライト留学生として渡米し、受入れ大学のハーバード大学に通うだけではなく、アメリカ国内各地やメキシコにも足を運び、多くの人々と交流しました。そして1枚の帰国用航空券と持参金200ドルのみで、1日1ドルの経費でヨーロッパやインドを巡る旅を敢行し、安保闘争の最中1960(昭和35)年に帰国しました。

帰国直後の小田実に旅行記の執筆を持ち掛けたのは河出書房の坂本一亀でした。

「あまり酒の飲めない彼(小田実)は、それでもビールをちびちびなめながら、アメリカでのこと、ヨーロッパでのこと、それからインドのこと等を話した。聞きながら私(坂本一亀)は感銘をうけた。風物よりも人間の生きる姿勢というもの、そして、この27歳になる青年の無鉄砲とも言える逞しい精神と行動というもの。小田君、君のいま話してくれたことを書かないか、ぼくひとりで聞くには惜しい、と私は言った」

平井一臣『べ兵連とその時代』有志社,2020,32頁

この坂本一亀の薦めにより出版されたのが、小田実『何でも見てやろう』です。世界22か国を放浪し、全編を通してウィットとユーモアにあふれる作品は、当時の海外留学や海外旅行のイメージや意味を180度転換するようなインパクトを若者に与えたと言われています。現在で言うバックパッカー旅行の嚆矢とも言えるもので、私も学生時代に読んで大きな影響を受けました。

小田実

『文藝』編集長

1933(昭和8)年に改造社により創刊された雑誌『文藝』は、1944(昭和19)年に河出書房が買取り引き継ぎましたが、1957(昭和32)年に河出書房が経営破綻するにあたって休刊となりました。それを1962(昭和37)年に河出書房新社から復刊させたのが坂本一亀です。2年間『文藝』編集長を務めるとともに、公募により新人を発掘する『文藝賞』を創設しました。第一回の『文藝賞』長編部門の受賞作は高橋和巳『悲の器ひのうつわ』でした。

1978(昭和53)年に坂本一亀は河出書房新社を退社し、構想社を設立しました。2002年に死去、享年は80歳でした。


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