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【Voicy】最高のごはんのお供は家族だ #最高のごはんのお供(2021.9.23放送)

こんにちは、吉塚康一です。私は会社経営の傍ら近代史を研究し、「百年ニュース、毎日が100周年」という放送をお送りしています。本日はいつもとは違いまして、Voicy編集部が募集中の「#最高のごはんのお供」というテーマで放送を収録してみたいと思います。タイトルは「最高のごはんのお供は家族だ」です。よろしければ最後までお付き合いをお願いします。

さて食欲の秋です。私は新潟出身ですので、秋と言いますとおいしい新米が出荷されまして、たいへん楽しみにしているわけです。新米は古米に比べると水分量が多いんですね。そのためだと思いますが、風味といいますか、香りが非常によい。また表面のつやですね。なんだか輝いているような気がするんですね。気のせい、というか心理効果かも知れませんが、やはり新米は違うよなーと言って食べるわけです。

おいしいお米を食べる時は、いわゆるご飯のお供はいらない、という話がありますが、本当にそうなんですね。そのまま食べれちゃう。ちょっと塩を振るとかですね、それでも抜群においしく感じるわけです。もちろん、ごはんのお供があれば、いつもよりさらにおいしく食べられるというのがこの新鮮な新米かなと思います。

しかしですね、だんだんと馬齢を重ねてきますと、だんだん食事の要点が、何を食べるか、よりも、誰と食べるか、に比重が移ってくる気がします。どんなにおいしい秋の新米も、やはり怖い上司とか、嫌な同僚とか、頭の上がらない取引先とかですね、このような人たちと一緒に食べたらやっぱりおいしくないわけです。もう、ひとりで食べさせてくれよ、という感じですね。

そう考えると、やっぱり気の置けない人たちと一緒に食べるご飯が一番おいしいんだな、ということになります。私の場合はですね、やっぱり家族です。妻や子供たち、また母がスープの冷めない距離に住んでいるんですが、この母。このような家族と一緒に食べるご飯が一番おいしい。

たまには聖書から引用してみたいのですが、旧約聖書の箴言(しんげん)の第15章の第17節、「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎しみ合うことに勝る」という言葉があります。つまり味気ない野菜を食べていても、愛し合う人たちと一緒に食べればとても美味しい。逆に本来は非常に美味しいはずの肥えた牛を食べるとしても、憎しみ合う人同士で食べれば全然美味しくない。というような意味かなと思います。

やっぱり古今東西、この原則はあてはまるのかなと。何を食べるか、ではなく、誰と食べるか。その意味で行けば、やはり家族と食べること、これが本来一番おいしいはずです。なかなか昨今、みんなスケジュールが忙しくて、揃わないということもよくあるわけですが、そのようななかでも出来るだけ家族揃ってご飯を食べる時間を大事にして、美味しいご飯を楽しむ、というのがいいなと思います。

ということで、本日は「最高のごはんのお供は家族だ」というタイトルでお送りいたしました。もし宜しければ是非フォローをお願い致します。以上「100年ニュース」「毎日が100周年」吉塚康一でした。ご機嫌よう。


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