磯野真穂さん『ダイエット幻想』

 はじめてやせようと思ったときはいつごろだったでしょうか、またそれはどうしてでしょうか。著者はやさしく問いかける。それはおおよそ「どういう自分でいたら他人に受け入れてもらえるのかを考え始める時期」(本書13頁)であるという。

 着たい服を着たいというよりも、その服を着た自分を認めてもらいたい、よりきれいに見られたいと思う気持ちは誰にもある。そういう承認を求める気持ちの複雑さにも著者は目配りする。「承認欲求がありすぎるとみなされるや否や、自意識過剰といった形で批判されたり、ひどい場合はメンタル系の疾患と結び付けられたりもします。あって当然の願望なのに、それを押さえつける力も同時に働く」(36頁)。適度なアピール、人とはちょっと違うけれども光るセンスというのはとても繊細なことで、誰かのまなざしを意識的にも無意識にも感じながら、日々自分の見え方を作り上げているということを実感する。

 おそらく問題は、痩せていること、細くあることを唯一至上の価値として定立する価値基準が、現実の私たちの日々の食事を数値化し、私たちの身体を他者のまなざしで満たし、もともとの欲求をわからなくさせてしまうということではないか。著者はそれを「自分の身体が他者からの呼び声で満たされる」(48頁)ととらえる。かわいいね、きれいだね、細いね、という声、まなざし、観念、そしてそれらを支えているメディアの語りに、いかに自分が縛られて生きているのかということも痛感する。

 隣にいる人より少し優れていたい、また平均的な体重よりも少し絞られていた方がいいという「差異化の欲望」(86頁)は、私たち自身に内在するものというよりはむしろ資本制経済を駆動する原理であり、何かに乗り遅れたり劣っていたりするとみなすことから少し距離を置いて、自分自身の内側から湧いてくるものに向き合ってみたい、その声に素直にしたがってみたいと感じる。

 「やせていながら健康を保つことのできる、ぎりぎりの体重はどこか?」という身近で切実な関心を切り口に、社会で共有されている価値観の歪みや、私たちが日々とり結んでいる関係のかたち、自己を認識するあり方のひずみのようなものまでも浮かび上がらせてくれる。自分らしさとは求めるものではなく、唯一無二の生育歴がすでに成り立たせているものであり、それに加えて、新鮮でおいしいものを食べたい、楽しい人生を送りたいという願いとそれに伴う行動によって日々更新されていくものであるということ。それを忘れないでいようと思う。

 「ふつうに食べられる力の回復は、世界と具体的にかかわり合って生きているという感覚の回復とも言い換えることができる」(182頁)といった数々の示唆的な言葉に触発され、たくさんのことを教えられた。

 磯野真穂さん『ダイエット幻想』ちくまプリマー新書、2019年。

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