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「桶川ストーカー殺人事件 遺言」 清水潔著 新潮文庫

1999年に起きた桶川ストーカー事件の犯人を執念で割り出し追い詰めた FOCUSの記者によるノンフィクション。犯人の小松和人のような強いストーカー気質を持った男に、たまたま出会ってしまった猪野詩織さんは、追い詰められ、結局刺殺されることになります。
  
この殺人は、避けられたはずです。警察がしっかりと動いていれば・・・。
  
この事件が起きた時、ストーカー規制法はありませんでした。・・・と言うより、この事件がきっかけでストーカー規制法が制定されることになったのです。
  
当時の埼玉県警は、詩織さんとその家族の必死の訴えに、積極的に動こうとしませんでした。ストーカーと言う概念がまだ浸透していなかったとは言え、詩織さんが犯人の小松から恫喝される場面の録音を聴いても動かなかったと言うのは、許されることではないでしょう。
  
著者に「詩織は、小松と警察に殺された」と言った詩織さんの友人の言葉は、やるせないです。
  
しかし、僕はさらに思うのです。それは、大手メディアの報道姿勢の罪です。多くのメディアが「風俗店店長と交際をしていた」「ブランド依存だった」と被害者の詩織さんについて記述しています。そもそも詩織さんは、小松のことをカーディーラーと思っていたわけですし、小松からプレゼントされた高価なブランド物の服やアクセサリーは、小松と別れることを決意した時に全部小松に返しています。詩織さんは、「風俗店店長と交際をしていた」わけでも、「ブランド依存だった」わけでもないのです。
  
こうしたメディアの姿勢は、もう亡くなってしまった被害者である詩織さんを、そしてその家族を傷つけることになります。当時の埼玉県警が自分たちのミスを矮小化する試みに、マスコミが乗ってしまったと言うことなのです。「そう言う女だから仕方がない」と言う論理です。
  
今から20年前の事件ですが、その頃から、忖度の雰囲気が日本のメディアの中に出来上がっていたのでしょう。いや、もっともっと前からずっと、忖度体質があったのかもしれません。


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