見出し画像

「新しい世界 世界の賢人16人が語る未来」 クーリエ・ジャポン編 講談社現代新書

2021年1月に出版された本です。賢人たちの主張の検証は、これからなされることになるでしょう。

16人の「賢人」たちが語る、パンデミック以降の世界についてのインタビュー集です。横断的に、賢人たちが今パンデミックの中で、何を考えているのかがまとめられていて、とても興味深い本でした。

  

ほとんどの人は、行き過ぎたグローバリズムに対する懸念を語っています。それをどうするかについては、それぞれ独自の見解を示しています。

  

ジャレット・ダイアモンドは、世界の人々が共通に持つグローバル・アイデンティティの構築が必要だとしています。

トマ・ピケティは、「参加型社会主義」を主張します。

エマニエル・ドットは、最も強くグローバリズムに異を唱えています。

マイケル・サンデルは、行き過ぎた能力主義の欺瞞と、それによる分断について言及しています。

僕自身は、グローバリズムはさまざまな矛盾を生み出しており、パンデミックでそれが表面化したと思います。今後、世界がどう進むのかは僕には分かりませんが、元に戻ることはないでしょう。グローバリズムの基本的流れは変わらずに(エントロピーは増大しますからね・・・)、格差を改善していく方向にいくのがいいかなと考えています。ベーシックインカムにしても、参加型社会主義にしても、利他的な意識を持って、利益を還元していく方向が提案されていくでしょう。


以下に、僕が興味を持った考えについてざっくりとまとめてみました。

**************************

哲学者・歴史学者のユヴァニル・ノア・ハラリは、パンデミックの解決策は脱グローバル化ではないと言います。脱グローバル化に解決を求めるのなら、石器時代にまで戻らなければならないのです。逆に、グローバルな協力関係を作ることこそが解決策なのですが、協力関係のメリットを引き出せないのは、世界的リーダーシップの欠如だと言います。

生理学・進化生物学者のジャレッド・ダイアモンドは、ハラリと近い考えを持っています。危機に向かい合うには、世界の人々が共通に持つグローバル・アイデンティティの構築が最重要の課題だと言います。僕は、ハラリやダイアモンドの考えに共鳴します。

ジャレッド・ダイアモンドは、日本の閉鎖性に言及しています。ドイツと違い、日本は中国や韓国と意義深い和解ができておらず、近代社会における女性の役割を十分に受け入れておらず、移民を受け入れない政策があると指摘しています。移民については、ダイアモンド自身も言っているように議論の余地はあるでしょう。僕自身は、中国と韓国との意義深い和解と女性の社会進出については、今よりももっと真剣に取り組んでいくべきだろうと考えています。これが実現できなければ、日本は次の時代に孤立してしまうでしょう。移民については、おそらくより受け入れる方向になると思いますが、くれぐれも差別的な処遇をしないように望みます。

歴史人口学者のエマニエル・ドットは、グローバル化というゲームに安易に乗っかることの愚を主張します。パンデミックの中、国が倒れずにいるのは、エッセンシャルワーカーたちのおかげであり、金融マンや法律を巧妙に操れる人のおかげではないのです。ドットは、自国フランスを工場、労働者、エンジニアの頼れる国にすることが大事だと言います。それにも一理あるでしょう。ただ、ドットの考えを曲解し、逆に行き過ぎたナショナリズムに向かってしまったら危険です。また、極端な保護主義になってしまうと、長期的にはうまくいかないんじゃないかなと思います。

そのことに言及しているのが、経済学者のエスター・デュフロです。デュフロは、グローバリズムには否定的ではありません。今回のパンデミックについても、脱グローバリズムが解決とならないと言っています。例えば、各国が自国の工場だけに頼っていたら、パンデミックを押さえ込むことはできないのです。そして、彼は、ベーシックインカムを支持しています。

政治学者のフランシス・フクヤマは、トランプのアメリカ、ボルソナロのブラジルなどの「ポピュリスト国家」が、新型コロナへの対応に非常に手間取っていると指摘しています。これらの国が「ポピュリスト国家」と言っていいのかどうかは分かりませんが、「パンデミックを否認し、支配者の人気を維持するためにパンデミックを矮小化している」という点については同意します。指導者がパンデミックを矮小化したら、国民は油断します。この状況は日本でも起きていたことだと思います。

 経済学者のトマ・ピケティは、資本主義の限界に言及し、「参加型の社会主義」を提案します。簡単に言ってしまえば、それは労使共同決定の社会です。例えばドイツは、大企業においては、従業員の代表が取締役会での議決権の半分を持っています。これは、「参加型の社会主義」の試みの一つであると考えて良いでしょう。ピケティの目指すところは、そうした試みを国家規模にまで拡大すると言うことです。「社会主義」と言う言葉にアレルギーを感じる人もいるでしょうが、アメリカでバーニー・サンダースがあれだけの人気を得たのを見ると、これは大きな潮流になる可能性があると思います。

政治哲学者のマイケル・サンデルの見解は、能力主義の文化が、勝ち組を傲慢にし、置いてけぼりにされた人たちに対して優しさを示さない社会を作ってしまったと言います。そして、見下された人々の不満と怒りから世界各地でポピュリズムの抗議運動が起き、それがトランプ政権を出現させたと言うことになります。  

今回のパンデミックにおいても、勝ち組は安全な場におり、負け組は危険にさらされています。

このように、パンデミックは、社会の不公平さを明らかにしたのです。サンデルによれば、トランプを支持した人たちは、正当な不満を表明した人たちです。僕は、そのことに同意します。そして、サンデルも言っているようにトランプとトランプ支持者を分けて考えなければならないと思います。トランプ支持者たちの不満には共感する部分もありますが、僕はトランプを支持する気にはなれません。その一つの理由が、コロナ対策の失敗です。彼は、コロナを甘くみ過ぎました。確証バイアスの罠に陥った、つまり都合の良い情報ばかりを集めてしまったと考えています。また連邦議事堂乱入事件についてもトランプの責任は免れないと僕は考えています。さて、次の選挙ではどうなるのでしょうか?

哲学者のアラン・ド・ボトンは、ストア派の哲学者にならい、「笑って、大丈夫全てうまくいくから」などと言う人たちは、自分の首を締めているだけだと言います。

不安をコントロールするのは、不可能です。ボトンは、カミュの「シンプルな喜びに注力することが大切だ」と言う言葉を紹介しています。

これは、僕の理解では、カミュの晩年のいわゆる「愛の系列」と言う姿勢ですね。人生の無意味と世界の不条理に言及し、反抗を創造的行動と考えたカミュが晩年にたどり着いた境地です。カミュは、「愛の系列」をテーマとした小説を執筆中に、交通事故でこの世を去ってしまいました。「ペスト」を書いたカミュが今の世界を見たら、どう感じるのでしょう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?