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「神様は返事を書かない」 阿部珠樹著 文藝春秋

ドジャースの野球を研究し、8時半の男宮田でリリーフ投手の大切さを証明し、ピッチャーで入団した柴田勲をスイッチヒッターで起用するなど斬新なアイデアを次々投入してジャイアンツの9連覇を成し遂げた川上哲治は、なぜ、実績をあげ始めていた王貞治の一本足打法に反対したのか?結局、王は一本足打法を続け、ホームランの世界記録を作りました。


野茂英雄は、のちにトルネード投法と呼ばれる独特の投球フォームをいじらない、練習法は自分のやり方でやると言う条件で仰木監督率いる近鉄に入団し、いきなり最多勝、奪三振王、最優秀防御率、最高勝率の投手四冠を手にします。その後も最多勝、奪三振王を続けていきます。しかし、仰木監督の後を継いだかつての名投手鈴木啓示は、野茂の投球フォームを変えようとし、独自の練習法も変えさせました。そのことが、野茂がメジャーリーグに移籍する大きな原因になったようです。その後、メジャーリーグでの野茂は、奪三振王2回、ノーヒットノーラン2回という輝かしい成績を残します。


この本には、野茂と鈴木監督の確執については、詳しくは書かれていませんが、野茂のメジャー移籍の際のゴタゴタについては触れています。当時好意的ではなかったマスコミの報道の中、最低年棒でメジャー移籍を決断した野茂には、何が見えていたのでしょう?


テレビで見たのですが、大谷翔平は、野茂の現役時代を知らないのだそうです。でも、野茂がメジャーリーグへの道を切り開き、イチローが続かなければ、大谷くんのMLBでの活躍はなかったかもしれません。野茂もイチローもその才能を開花させたのは仰木監督でしょう。大谷には栗山監督がいました。栗山さんは、外野からの「二刀流は無理だ」と言う声に影響されることなく、大谷に自由にやらせました。


選手の中には、上から指導しなければ伸びない人もいるでしょう。でも王、野茂、イチロー、大谷のような飛び抜けた天才には、上から下への一方的な指導は向かないのかもしれません。


この本の著者の阿部珠樹さんは、出版社勤務を経て、1987年にフリーライターとして独立すると、主に「Sports Graphic Number」、「優駿」を舞台にスポーツに関する記事を書き続けました。 「Number」だけでも短いコラムなどを含めると、2015年に57歳で亡くなるまでの30年弱で900編ほどの原稿を発表(p.7)した人です。


取材対象は、野球だけでなくサッカー、競馬などとても幅広いです。また、MLB最後の4割打者テッド・ウィイリアムスにもインタビューをしています。


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