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「オッペンハイマー」 中沢志保 著 中公新書

オッペンハイマーは、卓越した科学者だったのでしょう。だからこそ、短期間で原爆を開発し完成させることができました。


彼は、原子力に関する情報を公開することによって国際的な信頼を得ようとし、核物質を国際機関が「管理」することによって核軍拡を防止し、平和利用面での原子力開発を促進しようとしました。


しかし、彼には矛盾がありました。「原爆投下に賛意を示しながら、ソ連との協調関係の醸成を主張した。原子力の国際管理案を提示しながら、アメリカの核兵器体系を充実させた。水爆開発には反対したが、戦術核の拡充を勧めた。(p.208)」という矛盾が指摘されています。


なぜ、あれだけ核兵器の凄まじさを熟知していたにもかかわらず、そして、恩師のボーアが反対したのに、オッペンハイマーは、広島、長崎への原爆投下に賛成したのでしょうか?


原爆投下後、「科学者は罪を知った」「自分の手は血で汚れている」(p.209)と繰り返すようになるのなら、反対すればよかったのにと思います。


彼の心の中で何があったのか、永遠のなぞとなってしまいました。


オッペンハイマーは、水爆の開発には反対しました。同義的に許せない兵器だというのがひとつの理由です。また、世界大戦が終結した後、大量破壊兵器を作ることに意味がないと考えたのでしょう。


でも、いくら止めても、だれかが水爆を作ろうとしたのではないかと、僕は思います。


オッペンハイマーは、水爆開発に反対したこと、ソ連と協力すべきという意見を述べたことなどにより、いわゆる「赤狩り」により、公職をすべて剥奪されてしまいます。


「赤狩り」は、アメリカの黒歴史です。民主主義の名の下の専制です。


色々なテーマについて考えさせられる本でした。


そして、僕には、どうしても一つの疑問が残ります。先ほど、少し触れた「人一倍繊細な感覚があり、卓越した頭脳を持ち、原爆の威力を最も知っていながら、なぜ、彼は原爆投下に賛成したのか?」と言うことです。


これは、僕の仮説ですが、どこかに、「科学者として、自分の成し遂げたことの成果を確かめたかった」という心理が、無意識の領域かもしれませんが、あったのではないかということです。

そして、その代償はとてつもなく大きかった。


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