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 ヤオビクニは腹を裂いて彼女の内臓を引き出した。泉はどんどんと汚れた血で染まっていった。ビクニは彼女の穢れの濯ぎを終えると水中に水母のように広がった彼女の臓腑を肚へとしまい込んだ。
 その二百年後、大風が吹いて濁流が流れ込んだ。その頃には泉はビクニの汚れは既に泥となって堆積し、彼女の血の赤さだけが褪せることなく泉に留まっていた。汚濁は瞬く間に泉を灰色に埋めてしまった。不老不死の血を呑んで生きていた魚たちは皆死んでしまった。死の間際彼らは水面に顔を出して「助けて! 助けて!」と口々に叫ぶ様子は、かつてビクニが食べた人魚の今際そっくりだった。遠く離れた山の上でビクニが涙を流したのはそれからさらに三百年後のことだった彼女は、それが何の涙かは知らず、知らないためにいっそう遠いところでじぶんの琴線に触れるものがあることに驚き、そしてまた涙を重ねた。
 彼女の身体は閉じて久しかったが、彼女が禊ぎを行う度に、彼女の胎内へ浸み込んだ水は遠く離れた場所で風が吹き、神鳴りし、降雨するたびに、渦を巻き、積乱雲として伸び上がる度に、ざわめいたが、感じ入ることに彼女はあまりにも遠く久しく離れていたので、自らのざわめき止まない体に彼女が気を留めることはこの五百年の間、ビクニは無かったのだった。
 五百年をかけてしずくは器を一滴ずつ満たして行った、その最後のひとしずくがあふれたのだと、ビクニは、彼女が思った。

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