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 千年以上昔に書かれたものが尚今わたしへ意味を読むことができるというのはとてもすごいことだね、と言った。中にはもうすっかり意味が失われてしまったり、変わってしまった言葉もあって、言葉は容れ物だってよく言うけどその中には何が入っているの? と言ったので、
 言葉じたいが容れ物でありその中身なんだよと言うと、じゃあこの言葉も千年後にはここに書いてある通りに未来の人たちは読んでくれるだろうか、と言うので、私は、紫式部が、わたしは紫式部をもはや紫式部という文字列で知か知らない彼女が、わたしやきみのような息をして、手が温かくて、夜になると眠って、トイレに入って、好きな人にときめいて、嫌いな人には嫌味を言って、ちょっとした言いまちがえや失敗をするような、生きている人間であったそうな、それは言われているのは千年も前だって言うけど、わたしはテキストに置き換えられた文字を通してしか、千年という時間の隔たりを、そういう隔たりがどうやらあるらしいということを、知ることができないのに、彼女が書いた言葉を今読むことができているのはどういうことだろう、と言って、じゃあ言葉はタイムカプセルみたいな? とタイムカプセルも知らないクセに言ったから、ドラえもんのマネ(大山のぶ代)をして「タイムカプセル~」と言うと、きみはきょとんとした顔だったから、代わりにわたしが笑うことにした。

 木漏れ日の中を二人で歩いている。切れ切れにされたたくさんの影がわたしの上を通過するのと同じくらいの光がきみの中を通ってまた地面にへばりついた。
 ざわざわとするのはたくさんの人の話し声みたいと、言いながら人混みが苦手で駅前の雑踏なんか絶対に歩けないきみは切れ切れに光を散らす言葉たちのなかでアハハと笑った。

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