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「俺ってすぐ忘れちゃうんです。忘れるっていうか、すぐ別の事に気が移っちゃうから、一つのことに集中できないっていうか、ついさっきまでやってたことがあっても気になることがあればすぐそっちに行っちゃう、そういう風にして次々と注意が移っちゃって一つのことに集中できなかったり、気づいたら元々やっていたことを放っぽって全然別のこと考えていたりしちゃうんですよねえ」
 笑った。何で笑っているのかと思った、男は訊ねもしない事を彼からへらへらとした丸まった背に顔を前へつき出すような姿勢は少し右に傾きながらニヤニヤとそんなことを言う。どもりながら喋る男は彼は男のそういうしゃべり方自体が自分でうす気味わるいと思っているのでしばしば話しながら彼の手で男の口元を覆うように隠す癖を男は持っていたことを彼は知っていた。
「知ってるけどいつもそう、注意してるわけじゃないから気づくとついやっちゃうんですよ、あ、というかたぶん自分でも気づかないうちにやっちゃってることもきっと多いかなって思うんだよね、多分」
 唇を指の腹で擦りながらそんな事を喋るのは男が幼い頃中々指しゃぶりの癖が抜けなかった名残りかもしれないと彼は思っていた。指しゃぶりを長い年続けてきたために男の前歯は二本、前へとび出して斜めに曲がっていた、かつて歯科矯正治療もしたことがあるものの結局男は指をしゃぶっていた。彼は男が指をしゃぶっていたのを指を咥えて眺めていたと言ったのは今まさに、彼だが、別に言った訳ではない。結局再びせり出してしまった前歯を彼は男の上唇で上から被せるようにして押さえつける癖を持った、
「そんな事は『灼け石に水』だって、」といま彼は言うかもしれない、言った。
「わかっているけど、『灼け石に水』だって、でもやらないと気がすまないんだからしょうがないじゃない?」と彼は言っていない男が思っている。


2

 執拗に草原を風が吹いては渡る、『渡る』というのは草が波のように奥から手前へザザザァッと寄せ来るイメージを男は彼の頭の中で描いているのを彼はくり返し言葉にしようと努めた、男のどもり癖のようにふいに何もない処、ないはずの、無いと思われている処で引っかかっては、戻り、くり返し、くり返し間ちがいをして変化し、変質していく言葉を男は彼は彼の男の声はきみが悪いと思っていた一方で愛していた。それは男は彼の声にどもる彼の声が冷たい草原を誰も知らない記憶の中だけの男の彼の草原を風が草を渡るイメージとして、それは雨だ。
 雷雨は彼方の山あいに降り込めているようだ、ほらご覧。ゴロゴロと遠雷が聞こえる。黒い雲がかかっている山があるだろう? 指差した先に雨粒が砕けた。冷たい風がやって来隊列の整然とした進行のようなものが草の上を渡って見えなくなった。

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