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 友人から聞いた話。
 その廃墟にはがらんどうの広い空間と、古びたピアノが一台あるだけだそうだ。多分昔は音楽ホールか何かだったのだろうか、わからない。それも二〇〇六年にダムの底へ沈んだ。一週間程天気の良い日が続けばダムの水が澄んで、底に沈む廃墟を見ることが出来るんだそうだ。そこでかつて人が殺されたとか、水の澄んだ月の晩にはダムの湖上をピアノの音色が聞こえるとか、そんな話はない。ただ、月夜にはダム湖に映える月影がとても綺麗だ。と友人は言った、私は見たことがないけど、確かスウェーデン語だっけ、フィンランド語だっけ、水上に映る月の光を指す単語があるらしい。どんな言葉か忘れたけど、私はそれをインターネットの記事で読んだ、確か日本語に訳すと「月の道」とか、そういう意味になる、そこには日本語の「こもれび」という単語も紹介されていた、世界中の様々な言語の、他の言語には対応する単語のない、美しい意味の単語を紹介していた。私は「しおさい」が美しいと思うなと言った。オールは一定の間隔で水面を打って、その度にふなべりとオールとも擦れて、ギイギイと軋んだ。私は、舟が背後に曳いていくさざなみを呆うっと眺めながら、一心不乱にオールを漕いでいたと言った。汗が額からしたたる。シャツもじっとりと汗ばんでおり、額から流れた汗が眼に入って視界を曇らせた。私は、月の道の上を月に向かって漕いでいたんだ、と言った。マイケル、ロゥザボートアショォ、マイケル、舟を漕げ。ハレルヤ。神に感謝を。ピアノの音が聞こえたの、と私は言った。私はピアノの音なんか聞いていないと言った。湖底にピアノが本当に沈んでいるかなんて知らないよ、私が聞いた話だから、これは。

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