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<民主主義という幽霊1>

今後生じるであろう歴史戦に備えて

今回の記事は、白頭狸こと落合莞爾先生の新刊『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』(以下大杉本)を読まれた方を対象に書いておりますので、まだお手元にない方は是非お買い求めいただきたいと思います。

大杉本で明らかになったように、我が日本国では國體の志士たちの命を賭した活躍により共産化を防ぐことに成功いたしました。
では、そもそもなぜそのような社会変革が日本で行われ、國體志士たちが率先して誘導する必要があったのかを歴史を遡り、ワンワールドに目を向けて見ていこうと思います。

それにはまず、伊達宗広(千広)の説く『大勢三転考』の「骨(カバネ)の代」から「職の代」「名の代」を経て、四転目の「公の代」に至る人類社会の変遷を思い出す必要があります。

本邦においては以下
・姓(かばね)の代:古代豪族社会
・職(つかさ)の代:律令制社会
・名の代:武士の台頭

四転目は、現在末期症状の公(おおやけ)の代:公議政体(議会制度)となります。

そして今回のテーマは、名の代から公の代に移る際の話となります。
これは日本国のみならず、他国においても大体同じような変遷を遂げており、今回注目すべきは、世界の覇権を握っていた欧州諸国になります。
欧州がまず最初に『公の代』に舵を切って行ったわけですが、欧州における『名の代』は絶対君主制であり、王侯貴族が絶大な力を誇示していました。しかし、一つの大勢も人間同様に寿命があるようで、仮に最上位が清廉であったとしても、その周囲に利権が存在すれば、自ずと腐敗していき、一般民衆も王族自身も看過できない状況に追い込まれていくものです。
当然このような状況を欧州國體が見逃すわけはなく、自ら大規模な社会変革に乗り出していきます。
初動は18世紀になったと同時に起こったとされますが、わかりやすところから見ていくと、なんといっても1789年の『フランス革命』となります。
ご存知フランス革命は、身分制や領主制など封建的な要素を一掃し、法の下の平等、経済的自由、自由な私的所有といった資本主義の発展と、資本主義憲法の確立を目的とした革命でした。この革命により、ブルボン王朝のルイ16世とマリーアントワネットがギロチンによって処刑されたというのが通説とされ、象徴的な出来事として人々の記憶に刻まれています。
さらにフランス革命戦争は、ナポレオン戦争と合わせて大フランス戦争と呼ばれますが、その死者数は490万人と甚大です。
以上のような苦難の歴史を経て、フランスは絶対王政から民主共和制国家へ。即ち、「名の代」から「公の代」へと変貌を遂げました。
このような動きは、フランスだけではなく、欧州各地に飛び火し、青年党などを通して各地の封建体制を揺るがしていきました。
聞くところによると、このような革命運動は、おっさん労働者では今ひとつ心揺さぶるものに欠けるらしく、「青年」を表看板に掲げて行うようです。
現在では、学生がその役を引き受けていることはご存知の通りです。
そして、いわゆる陰謀論者が大好きな、フリーメイソンやイルミナティなどは、この革命期に本格的に活動し始めることになるのです。

フランス革命以降、欧州各地で人権思想などが徐々に広まる中、迂用曲折を経て1848年に登場したのが、マルクスとエンゲルスによる『共産党宣言』です。
この書の第1章は以下の書き出しで始まります。
「これまで存在したあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史です」
これは社会の下部構造に属する多くの人々の心を揺さぶりました。
そして共産党宣言の評価は別として、いまだに世界中で大きな影響力を持っています。

また、時代が若干降りますが、他の欧州諸国を見てみると、1908年のポルトガル革命や1914年のサラエボ事件にて、それぞれポルトガル国王、オーストリア皇太子が明殺されています。

ここまで書けば共産党宣言が出された20年後の、日本における『明治維新』というものが、國體の綿密な計画によって成就した、世界的に見て極めて成功裡に行われた御一新であったことが、朧げに見えてくるのではないでしょうか。

革命とはどのようなものかを比較するための一つの例として、フランス革命時に作られたフランス国歌 「ラ・マルセイエーズ」の激烈な歌詞を下に記します。


いざ祖国の子らよ!
栄光の日は来たれり
暴君の血染めの旗が翻る
戦場に響き渡る獰猛な兵等の怒号
我等が妻子らの喉を搔き切らんと迫り来たれり
武器を取るのだ、我が市民よ!
隊列を整えよ!
進め!進め!
敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ!



続く


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