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〔その7〕新著について

〔その7〕新著のこと
  新著の構想は、国策研究会から突然送られてきた多くの書籍の中にあった矢次一夫著『昭和動乱私史(上)』の中の一節に「大杉栄が関東大震災の前に密出国して後藤新平の親書をソ連の最高首脳の一人アドリフ・ヨッフェに届けた」とあるのを見つけたことです。
  この発見を中森護君が主宰する戦略思想研究所の洞察史学のセミナーで,
白頭狸が論じた処、同志の高島吉人君が「高松宮殿下が大杉を誉めている」と教えてくれたのです。

 それまで大杉栄を「日本の左翼人にありがちな軟弱の輩」と決めつけて毛嫌いしていた白頭狸は、矢次一夫が高松宮殿下と同じように大杉に好感を抱いていて「例の虐殺の当日に大杉の身を案じて自動車を(どこかから)出してもらい大杉宅を尋ねたところ既に拘束されていた」というのをみて、さらに驚愕したのです。
 かねてより「光格天皇のいとこ鷹司家に入って鷹司輔平と名乗り慶光院太政天皇流の皇別になったこと、その当主鷹司輔政が偽装死して堀川御所に入ったこと、その子か孫が矢次一夫を称して國體参謀となったこと」などの國體秘事伝授を受けていた白頭狸は、そのうち鷹司輔政と矢次一夫の事績を調べねばならぬ時がくるとの想いを秘かに抱いたので、ついにその期が来たのかと思い、そろそろ新著の準備を始めていたところでした。
 矢次一夫は当時、労働問題に関する事務所を開いていましたから、アナキストの日本における第一人者として各地の労働問題に関わっていた大杉と関係があって不自然はないが、矢次が大震災の直後にわざわざ自動車を調達して大杉宅の様子を窺いに行ったのをみれば、この二人の関係は通常を越えた只ならぬものと観るのが合理的です。
 そこで中森君から貰った前著の残部を完売した後にかなりの追加注文を受けた白頭狸が、資金不足の中で第二刷の断行を決断し、後は成り行きに任せとして取り掛かったのが、大杉栄に焦点を当てた新著だったのです。
 大杉の身辺を調べるうちに大きな発見が相次ぎました。中でも決定的だったのは、伊藤野枝の叔父で代父だった事業家代準介が玄洋社の棟梁頭山満の遠縁で、しかも玄洋社の実質社主杉山茂丸の財務担当であったたことが覗えたことです。
 もう一つの発見は、大杉栄がアナキストとして活躍していた大正中期に、アナキストや社会主義者らを監視していた憲兵隊のトップで憲兵司令部副官の甘粕粕正彦中尉に指図を下していたた憲兵司令官山田良之助少将が大杉栄の従兄ということです。
 それらの事実を拾い集めて論理的に整理したうえで、総合的に洞察したところ、到達した結論は「大杉栄は親譲りの國體奉公衆で、アナキストを装って社会活動家の中に潜入した」ということです。
 これを否定するのは絶対に無理と確信しますが、他にもまだまだありますよ。それは、日本社会党と日本共産党の創立者となった堺利彦は左翼系活動家として大杉栄と荒畑寒村の兄貴分ですが、この三人とも國體奉公衆と観るほか無いことです。
 つまり日本社会思想史は、例の知床遊覧船のごとく、最初から船艇に大穴が開いていたわけですから、転覆するしかありません。

 これ以上言うと、大筋はたいてい分ったとして読まない向きが出てくることになると桂輪文庫が困るので、ここでひとまず措くことにします。

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