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[3] 横田幕府崩壊に向けて


都市ホワイトカラーの位置付け


江戸幕府の動揺は貨幣経済が発展した後に、幾多の対応策を経ながらも、武士階級は経済的に没落していき、幕府や藩に財政破綻が生じていた。
これに対比するに「戦後体制」もやはり、経済問題から動揺している。
江戸時代は、社会が安定してきて、サーカーの言ういわゆる「町人(守銭奴)」の時代に入ると、貨幣経済の浸透につれて町人が力をつけてくる。
 そうするとカネを持ったものが、次には栄誉勲階を求めるという社会一般の原則が働き、また禄高という永久年金的な財産権に投資しようとする意図からも、町人が「士分」を取得しようとする。
これは、養子縁組を利用した、裏口入学ならぬ「裏口武士」の誕生である。
その一方で逆に、能力主義の「裏口商人」も現れたのである。
では、かつて自分も属していた、現代の都市ホワイトカラーはどのような身分にあたるのか。その本質は江戸時代にあっては藩や幕府の下級武士に相当する。これは、満員電車とあまり自由のないサラリーマンの生態をみれば、苦しいながらも頷かざるを得ない現実である。
僕のかつての同僚は、そこから抜け出そうと、株や仮想通貨などで「億り人= 町人(守銭奴)」を目指していたが、ここしばらく連絡がない。急にリッチになって僕を切り捨てたのか、または逆か。
時の運を掴み、力を得られるものは相応の身分を欲しようと動き回るのか。

為替


現在日本は極端な円安に傾いているが、過去を振り返って見てみようと思う。
本書が書かれた1989年ころにおいては、ドル防衛のための為替介入に日銀は、膨大な国民のカネをつぎ込んでいる。
さらに、その日銀が外国為替特別会計のカネを使って、ドルを買い支えているから、そのカネが過剰流動性となって国内を回り、それで地価や株価が押し上げられたようである。
また、生命保険会社各社は、米国の国際収支の悪化を埋めるためにというので、莫大な量のアメリカ合衆国財務省証券(TB)を買い込み、日本国民の共有財産ともいうべき生保のカネを無駄遣いされたのである。

実は、幕末期においても似たようなことが起こっている。
幕府は、元貿易商の米国外交官ハリスに恫喝され、不当な為替レートを呑まされていた。
それを見た駐日英国大使サー・ラザフォート・オールコックは自著『大君の都』にこう記している
「外国人の干渉によって、一国の貨幣制度がこれほど突然に、また激しく混乱したことは、近代においてその先例を見ない」
要するに一国の内政である貨幣政策に、軍事を背景に介入したことを示している。
こうした事態が生じた根本原因は、一般人にはただちには理解できなかったが、それが開国や外国貿易に関係があるだろう、ということは見当がついていた。そのためこの頃から攘夷と倒幕の気運が一気に燃え上がっていく。
井伊直弼が桜田門外の変で表舞台から姿を消し、米国大使館員が暗殺されたのもこの頃である。
さて、2022年現在、日本の国力を考えると異常とも思える日米間の為替に関しても、言うまでもなく米国のドル防衛に日本円が付き合わされていることは明白である。その事情については、やはり何と言っても白頭狸先生のブログを参照していただきたい。
このように見てみると、特に戦後日本はアメリカ経済のために、日本円を安く買い叩かれて、日本の労働力、土地・不動産、株や消費財がバーゲンセールになっている。それをメディアが、「外国人がたくさん訪日して、日本製品や観光地が潤っている」といった類の報道をしているが、手放しで喜べる状態ではないことがお分かりいただけるかと思う。
日本でなぜか梅毒の罹患者が増えているのも、無関係とは言えまい。
いまこそ、幕末にハリスと正面からやりあった水野筑後守にあたる硬骨漢の出現が望まれるのである。

格差


本書が書かれた時期に、大都市圏の地価高騰に与って大資産家に成り上がった土地持ちと、これになり損ねた一般国民の間の心理的亀裂は、単に経済格差だけではなく、社会的身分格差が生じたと言って良い。
某調査機関の調べでは、東京都に土地付きの住宅を一軒相続したものは、そうでないものに比べて年間労働所得一千万円を別に得るのと同等の経済的優位にあるという。この格差だけで一人前の社会中流の収入を上回るものである。
政所自民党としては、庶民に対して「衣食は満ちた、いい政治ではないか」と自己満足に耽ってはいるが、「足らざるを憂えず、等しからずを憂える」という日本人の特質を見逃している。日本人は共同体を作り続けていく性向をもつので、格差に敏感なのである。
現在に目を移すとコロナ以降、活動を制限される業界がある一方、特定の業界に過剰に補助金が流れている実情に不満を持つものもいるであろう。当然、政治はすべての人に幸福を与えることはできないが、一方的な偏りがある場合は「等しからずを憂える」と感じる人が出てくるのは当然のことだろう。

来たるべき日本の眼目


戦後日本においては、すべての問題の根源は対米関係にあった。現在は対中関係というまた別の問題もあるが、そこは白頭狸noteに詳しく書かれているので、ここでは対米問題に焦点を絞って書いていく。
対米問題は、戦後体制の経緯からすれば当然のことで、古来勝者が敗者になすことには一定の原則がある。
そのため、国際問題といっても、我が国が米国の政治的・外交的・軍事的支配下にある以上、本来の意味における国際問題などには直面していない。
すべては形を変えた対米問題に還元されるからである。それは現在のウクライナ問題で、日本外交が主体性を持って決定を下せないことを見れば明らかである。
国内問題も同様である。我が国の健気な努力が民生に反映されず窮乏化が払拭されないのも、その根底にある土地・住宅や社会資本問題も、企業行動も地方過疎化問題なども、さらには精神的飢餓感や教育の荒廃も、あらゆる「戦後社会の歪み」は究極のところ、対米問題に還元される。
現在の日本は本書が書かれた時から30年以上経っており、上記した米国占領体制の歪みが、もはや当然のものとして受け止められており、その戦後体制に基づいた利権構造が各所に配置され、自らの意思ではどうすることもできない状態に陥ってしまっている。
しかし、米国にも良識ある人士はいるもので、元米国上院議員のジェームス・フルブライト氏は、平成元年7月11日の『東京タイムス』に「日本もそろそろ、駐留米軍の引き上げを米国に求めてもいいころではないかなあ」と述べており、「自分の国は自分で面倒見なさい」というトランプ元大統領と同じような趣旨を30年前にすでに発言している。
日本はこのような人士に、水面下であれ積極的にアプローチして勇気を持って期待に応えるべきではないだろうか。

おわりに


以上、落合莞爾氏の著した本書の概要を記載しながら、途中途中に僕個人の思うところを書いてきた。
ここで白状すると、僕はもともと「歴史」そのものにはそこまで強い興味を持ったことがなかった。
言い換えれば、一般的な成人男性とほとんど同じぐらいの知識しかなかったわけである。
ところが、2015年ごろだったと思うが、落合氏の『南北朝こそ日本の機密』という本のタイトルを見てから、自分の中に何かざわつくものが生まれて、そこから歴史探求の世界に引き込まれていった。
それでもなお、興味自体は「歴史」そのものではなく、違和感を感じる出来事に対しての探究心を刺激され続けたといったところである。
なぜなら、現在身の回りにある納得いかない現象の根本を知ろうとするとする時、歴史を学ばなければ見えてこないことばかりだからだ。
そして少しずつそれが見えてきたときは感動すら覚える。
そこから、自分や自分の大事な人を守るためには、何をなすべきなのか、というところに落とし込んでいく。
そのような思索を繰り返し行うことによって、コロナが発生した時に、いち早く自社の在庫を吐き出すことができて、損害を回避することにつながった。
学問はすべて、人間が生きていく上で役に立つことを前提に研究がなされるものだが、現在、市井にはびこる歴史観は、日本人にとって役に立たない「偽史」が溢れている。
当然それは、前述した「米国占領体制の歪み」が生み出したものであることを、ここまで読んでいただいた方にはわかっていただけたかと思うが、僕の実感としては、いまや敵は米国のみならず、中国、韓国(=米国)が仕掛けている歴史情報戦は言うに及ばず、将来ロシアなどからも攻撃を受けるのではないかと危惧している。
厄介なことは「米国占領体制の歪み」の中、あらゆる決定がなされており、さらにそこに近隣諸国からの攻撃を受けたら、日本人は自分たちが一体何者かがわからなくなり、本来の姿に戻ることなく他国に吸収されてしまうのではないかと。すこし考え過ぎかもしれないが思うのである。

本書はいまから33年前に書かれたものだが、落合莞爾氏(白頭狸)は休むことなく現在に至るまで精力的に多くの書籍を世に送り出し、また、最近では無料で読めるブログnote白頭狸を世に発表している。
しかもこのnoteシステムでお布施をすると、なんとご本人と言葉を交わすことができるのである。
是非落合氏の書籍と、このシステムを利用して、ご自身の見聞を広げられたら、自身と家族を守ることにつながることと信じている。

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