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【札幌市内全駅下車】ほしみ駅・星置駅・稲穂駅・手稲駅(JR函館本線)

札幌市には、10の区がある。
その中でも、清田区と手稲区にはこれまで訪れたことがなかった。
清田区には鉄道の駅がないため、ペーパードライバーの私が向かうにはバスを使うしかない。
まずは、鉄道が通っている手稲区へ向かってみることにした。

1.隣接していながら対照的なほしみ駅と星置駅

ほしみ駅南口。北海道銀行の研修施設が隣接している

札幌駅からキハ201系の普通列車に乗り、ほしみ駅へ向かう。
私を含め、ここで降りたのは6名だった。

降りたことはないけれど、ほしみ駅という名前だけは知っている、という人もいるだろう。
函館本線には、当駅止まりの列車が設定されているからだ。
ほしみ駅には折り返し設備がないため、当駅止まりの列車は隣の銭函駅まで回送してから折り返す。

南口に降りると、目の前に北海道銀行の研修センターがある。
新入職員から昇進したての管理職まで、多くの銀行員がこの地を訪れているのだろう。
実は私も、新卒で金融機関に勤めていた経験がある。
当時を思い出し、悲喜交々の気持ちになった。
あの時の自分よ、私はなんとか元気でやってます。

駅から歩いてすぐ、小樽市になる

ほしみ駅は札幌市最西端に位置し、1995(平成7)年に開業した比較的新しい駅だ。
南口から歩くとほどなく、「小樽市」と書かれた看板が目に入る。
国道5号線沿いには店舗がひしめく。
気になるお店もいくつかあったが、後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎた。

駅の北側には星観緑地(ほしみりょくち)があるが、北海道銀行の研修施設と数軒の住宅以外は目立つ建物もなく、駅前は閑散としている。
同じく駅の北側に住宅街があり、駅の利用客は定期利用客が大半を占めるという。
今後の発展に期待しつつ、ほしみ駅を後にした。

星置駅北口。橋上駅となっている

再び函館本線に乗って、星置駅に降り立つ。
隣のほしみ駅とは対照的な駅前の光景に驚いた。
駅は地上5階建ての橋上駅舎で、北口は1階、南口は5階に出入り口がある。
北口へ向かう階段は途中でスーパーやドラッグストアが入る商業施設と直結しており、帰りがけに買い物ができるようになっていた。
北口から少し歩くとマンションが林立し、ニュータウンのような様相を呈している。
街を歩く人々も、若い世代が多い。
どこか首都圏の駅前に近い景観が広がっている。

駅舎には虹と星のイラストが描かれているのが特徴だ。
星置という地名はアイヌ語が語源と考えられているが、諸説あるとされる。

駅の乗車人員は4,721人(令和4年)。
隣接しているほしみ駅や稲穂駅と比べると、かなり乗客が多い。
1985(昭和60)年10月に開業し、現在は快速「エアポート」も一部が停車。
利便性が高まっていると言えるだろう。

南口を出て少し歩くと、国道5号線に当たる。
国道沿いの飲食店で食事をとり、次の目的地に向かった。

2.JR関連の施設が揃う稲穂駅

稲穂駅

稲穂駅北口を出ると、目の前にJR北海道の札幌運転所が広がる。
札幌圏で運用される多くの電車が所属(気動車は苗穂運転所に多く所属)しており、庫内では多くの車両が休んでいるのが見えた。
ホームに沿って歩いていくと、右手にJR北海道の社員研修センターがある。

札幌運転所内で停車中のDE15形

駅の北側は札幌運転所、南側は住宅地となっており、駅のそばを濁川という川が流れている。
南口付近は暗渠となっていた。

稲穂という地名は、1942(昭和17)年の字名改正で登場した。
青森県の人々が明治初期に不毛の地だった一帯を開拓し、苦心して水田耕作に成功。
先人の苦労をしのび、稲作の豊穣を願って「稲穂」という地名が生まれたという。
現在の稲穂駅付近では残念ながら稲作を行っている様子は見えないが、地名に地域の歴史が残っている。

3.地域の中心にふさわしい手稲駅

手稲駅北口

今回の旅で最後に降り立ったのが、手稲駅だ。
2022(令和4)年の乗車人員は12,593人で、札幌市内のJR駅では3番目に多い。
手稲区役所の最寄駅でもあり、名実ともに手稲区の中心駅である。

西友手稲店

北口はバスターミナルとスーパー、商業施設が並ぶ。
ここにある西友手稲店は、鉄道ゆかりの地でもある。

1880(明治13)年の開業当初、手稲駅一帯は軽川(がるがわ)という名であった。
手稲村から手稲町を経て、1967(昭和42)年に札幌市と合併。
付近は手稲本町という地名になった。
軽川駅は1952(昭和27)年に手稲と改称され、現在に至っている。

官営幌内鉄道の開業以降、一帯は交通の要衝として発展していく。
1922(大正11)年には軽石軌道(がるいしきどう)が開業し、現在の西友手稲店付近に駅ができた。
軽川は石狩へ向かう同線と、札幌や小樽に向かう官営鉄道が接続する地となったのである。
軽石軌道は1940(昭和15)年に廃線となったが、当時列車が走っていた線路は道路となって現在も使用されている。

軽石軌道が通っていたと思われる道路

南口はマンションと飲食店が立ち並んでおり、地下鉄東西線の宮の沢駅などに向かうバスが発着する。

4.おわりに

手稲区にある4つの駅をめぐったが、今回の旅には「研修」「星」「稲」というキーワードがあった。
これらのつながりや意味をより深く考え、人間として成長していけたらと思っている。
これで私が市内で訪れたことのない区は、清田区のみとなった。
企画とは趣旨がズレるため取り上げないが、いつか清田区にも訪れてみたいものである。

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