今日も日本晴れ、自由気ままに生きる
「一度きりの人生、楽しまなければもったいない、後悔のないように」
昔からよく聞く文言、でもなんだか堅苦しくもある。
だってこれには「○○しなけれれば」という強迫観念のような意味合いが含まれてるから。
後悔したくないなら○○したほうがいいって、そう感じるのって被害妄想?
最近よく思う、ありのままの自分を生きるのって、脱力したり、ぼーっとすることも含まれるんじゃないかって。自由気ままに生きるって、そんなに難しいことではないんじゃないかって。
ひとそれぞれいろいろな価値観があるとは思うけれど、近頃なんだかそんな風に思えるのだ。
あなたは、気ままに生きるとイメージしたとき、自分のどのような姿を想像するでしょう?
風に吹かれるまま、何に縛られることなく生きる自分の姿にわくわくするでしょうか?
お金のためにあくせく働くことを信じ込んでいる間は、どこか心がそわそわして落ち着かない。つまり何か事をなそうとする前に、まずは『自分になる』ということが肝要。
けれども、いきなり『自分になる』といわれても、混乱するでしょう。あまねく人たちが、すでに自分のことを自分だと認識しているに決まっていて、現にいま意識がないならこうしてこの文章を読むことすらないのだから。
ではもう少しわかりやすく言い換えてみましょう『本来の自分になる』、これならいかがでしょう?
本来の自分とは、何も着飾らないありのままの自分の姿です。決して○○しなきゃなんて思わない、むしろ心からの思いに素直に従う。
子供のころのような、素直な自分に戻れたら、何かをしなきゃなんて焦ることもないだろうし、穏やかな毎日の中にも楽しみを見出し、後悔なんてしているも暇なくなる。
自分らしく生きられればこそ、その在り方が巡り巡って周りの役に立って、収入に繋がったりする。
一度きりの人生だからこそ、脱力してゆるく生きればいい。そう思えればこそ、心のモヤモヤが晴れ渡り、本来の自分になれるのだ。
誰かになろうとせずとも、すでにあなたはあなただ。
誰でもないからこそ、あなたなのだから。
あなたは、あなたになるために生まれて来た、そうですよね。
では、そうしてください。
いつもえらそうなことを言ってすみません。
それでは、今日はこのあたりで失礼いたします。