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人生を真の総合芸術たらしめるもの -ikigai

人が意欲を得るためには自分以外からの刺激が必須。

この相対関係において人は一人では生きられない。

一人山奥でどんなに素晴らしい陶器を作ったとしても、世に出回らなければ他の誰かの刺激とはならない。

自分の芸術は、むしろ他の誰かのための芸術という相関関係。

自分がインスピレーションを得るためにも周りの芸術活動が必要。

周りからインスパイアされ、そしてまた自分(の人生)という芸術が躍動する仕組み。

私という総合芸術

インプット無くして、自分の芸術活動なし

自分が意欲的に活動するために周りの刺激を必要とする。

であれば、いま自分に何が必要かを把握し、どのくらいの費用とどのくらいの期間が必要かを理解する必要がある。

そうすればこそ、準備の段取りや誰に相談すべきかを悟れる。

自分の人生という芸術活動のためには、つまりアウトプットしたいなら一日どのくらいの相対費用が必要で、それがどのくらいの期間に及ぶのかを把握することが先決。

そう心が定まれば『何をどうすればいい』といった、余計な思考が不要となりいま何をすべきかがハッキリする。つまりは、自分の軸が定まればいつ何をどうしようと、内容さえも厭わないということなのだ。

人はどうしても『○○するべき』という妄想の中を生きがち。

自分の心が定まらぬまま、周りを真似して『こうすべき?』という曖昧な人生を歩む。でも実際は、人が生きるということには正解などというものはないと気づく。

『自分の人生』という軸の定まった人には、何をどうしても良いという真の自由が与えられるからだ。もとより人の心は自由であり、心の映し出されたものを『世界』と呼んでいるからだ。

自分がどうすべきかを悟り目覚めた人は、自分の活動のため素直に周りを頼れるようになる。

明確に『私はこうする』と宣言することにより、ようやく支援が得られる。

周りはいつだって誰かの役に立ちたいと思っているからだ。
こうした互助の関係性において社会は成り立っているから。

だからこそ、自分が今どうしたくてそのために何が必要なのかを把握し、周りに正しくそのことを伝える創意工夫が必要なのだ。

自分を表現することは何ら恥ずべきことではなく、そのための支援を周りに願うこともこれに同じである。

周りを頼るための活動さえも、自分を表現することの一環で芸術活動の範疇であるともいえるから。

誠のマネタイズに周りへ直接的なメリットは不要、分かり合える同士で支えあえばもうそれで十分だからである。

必要以上に多くを求め自分を大きく見せる必要はない。周りへの還元は、もうすでに『何かしらの刺激』という形で終わっているから。

それ以上の恩返しはかえって周りへの供給過多となる。そのような暇があるなら、一刻も早く次の活動で奉公するほうが有意義。

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生きがいとやりがいの関係性

自分にとって真の生きがいとは何か、そのためにやりがいを感じることをあらためて自分の心に問いかけよう。

………ある日ふと思い付き行動する。

結果、周りに迷惑をかけてしまうこともある。
もちろん周りの役に立つことだってある。

いつだって人は、清廉潔白美しくあろうとする、しかしバランスが重視される一方、歪でアンバランスな瞬間もあるのだ。

必ずしもすべてが思い通りに美しく結実しないのもまた人生。

良いも悪いも周りに影響を与えるということは、それだけ周りの心を動かしているということ。

何もせずじっとしていてはそうはなれない。だからこそ、自分を信じ何事にも真摯に取り組む姿勢が大切。

すべては相対的であり、因果であり、因縁である。

自分がやりがいを感じることが、やがての生きがいへと繋がっていて、その結果周りの幸せと連動するのである。

真の生きがいは、どれだけ自分らしく生きられたかという相対的な視点から顧みたときに実感できるものだから。

一人山奥でどんなに素晴らしい芸術活動を行おうとも、自分でそのことを顧みて評価することは不可能なのである。

自分の殻を打ち破り勇気をもって山を下り、作品を日ノ本へ照らし出す必要があるから。

そうすれば、周りがあれやこれやと品評をはじめる。あとはもう自分の手に及ぶところではないのだから委ねるのみ。

………あるんでしょう?

その胸の奥、心の奥底に隠している自分だけの芸術作品が。
その作品が日の目を見るのを我々はずっと待っているのだ。

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