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聖(ヒジリ)

遥か昔、葦原の瑞穂の国あしはらのみずほのくに と呼ばれたある地方がありました。
その地方にはを知る人々がいました。
この霊は魂のことであり、精神世界のことです。
精神とは、この世界の根源の心のことです。
根源とは、この世界を創造(シミュレーション)し続けている大日如来 だいにちにょらいのことです。大日如来とは近い将来完成するコンピュータ群の総称です。

その人々は霊知り ヒシリと呼ばれました。
霊知りの人々は己の心の声について研究するうちにこの世界の真理へと至ったのです。
やがて霊知りの中から中心となる存在が現れました。
その一族はその知識を後世に継承していくことにとても大きな貢献をしてくださいました。

霊知りの魂の知識や教えは長い長い時間をかけ世界中へ伝来する一方、その教えを学ぶため世界中から沢山の人々がその一族を訪ねてきました。
教えを請う人々の話を耳で聞き、口で言葉を伝える王のような存在であったその一族は、やがて霊知りの中心的存在として敬意を表し ヒジリと呼ばれました。
世界中の人々の声へと耳を傾けたこと、聖なる数字16に因み、聖のシンボルは16枚の花弁を持つ菊が用いられるようになりました。
聖の言葉は言霊 ことたまとなり、やがて教義となり経典となりました、現在の聖書 ヒジリショのことです。

八咫烏(ヤタガラス)

あるときある ヒジリが言いました。
これより物質世界の到来により精神性は著しく失われるだろうと。
これは振り子のように一時的なものであり、必然的なものであると。
長い相克の時代を経てやがて大いなる統合の時が来るだろうとそのように言いました。そして自分たちの存在が次の時代において混乱のもととならぬよう、聖の名と共にそのお姿をお隠しになられました。

33のトライアングルで構成されていた霊知り ヒシリの人々はその頂点であった偉大な聖に倣い表舞台から姿を消しました。
以後、残りの32の霊知りは、自分たちのことを八咫烏ヤタガラスと呼び、その中心の3人を三羽烏としました。烏たちは聖の教えを一子相伝で現代へとシステムと共に継承していきました。
これは物質原理主義の只中にある今より遥か五千年程も前の話です。

その後、烏たちは陰から国の行く末を見守り、時には暗に介入し、国や民人が自然の摂理として物質側に傾倒しすぎないように上手にあくまでも摂理に反しない程度の最小限の介入を行ってきたのです。
これはすべて言霊の原理原則に基づいたものです。

梟の目を持つ者たち

ある時ある時代、ある一族が ヒジリを訪ねてきました。これはおそらく現代より2500年以上も前のことでしょう。
その一族は遥か昔に外の国へと出ていた霊知り ヒシリの一族の末裔であり、長い時を経て再び訪ねてきたのでした。
しかし聖は遥か昔にお隠れになっていたため、聖に代わり三羽烏がかつての偉大な聖の言葉を伝え、海外のことにも詳しいこの一族へ27音の言霊をもって外の国において物質文明を幇助するよう乞うたのです。
50音でないのはより効率的に物質文明を発展させるためです。

彼らによって様々な地域に伝えられた27音に基づいた言葉は古代ヘブライ語からやがて英語などの世界中の言語となっていきました。
そのほとんどの言語がカタカナ表記できるのはこのためです。
また本来50音である言葉が足りていないことから争いが絶えないこと、これは聖書に描かれているバベルの塔の話です。
そして彼らが生み出したテクノロジーの一つである、ノイマン型コンピューターが27文字で作られているため永遠の未完成品であることなど。
現在のバージョンの地球ではこれらは仕方のないことだったのです。

その後その一族は カラスに模した フクロウをシンボルにし、33のトライアングルで構成された組織となっていきました。
その後彼らは、2000年以上もの間、世界の舞台裏から文明の発展へ注力し続けました。しかしこのことは物質科学文明において多くの争いや格差を生む要因ともなりました。
物質文明の性質から時間がかかればかかるほどに必然的な犠牲が莫大なものとなってしまうためです。

科学とは一定の犠牲を払うことからデーターが蓄積されていくものなのでその点を回避することができないためです。
しかし長い長い相克の時代もいよいよ終末の時が迫っています、途方もない労力をかけ困難を極める使命を彼らはやり遂げようとしています。
物質文明の沸点である技術的特異点が近づいています。
すべてはその後、私たちが考えるよりも早くに訪れるであろう精神文明との統合のためなのです。

お隠れになった聖(ヒジリ)

ヒジリは今どこにいらっしゃるのでしょうか。
今はもう忘れてしまったとしても、やんごとなきあの方々の中へ脈々と受け継がれているのです。

私たちは知っています。
皇尊とその名は変わり象徴となった現在でも、凛として人とはこうあるべきというそのお姿を拝謁することで心が高鳴るのですから。

かつての聖は知っていたのです、私たちにはもう王は必要ないと。私たちを信じていたのです。
どんなに困難であろうとも、私たちはやり遂げるだろうと。
この地球というゲームをみんなでクリアできるのだと。

葦原の瑞穂の国、日本

私たちは奇跡の国に生きている。
偉大な先祖から脈々と継承された自然豊かで美しい国とDNAや知恵や文化や風習。私たちに他に何か必要だろうか。

かつて笑われた言葉がある、
「日本は神の国である。」
この言葉の何が間違っているというのだろう、私にはいまだにわからない。
私はこの言葉を聞くと涙が溢れてくるのだ。

あとがき

心地よい日々に感謝しつつ今回の内容を書き終えることができ非常な喜びを感じています。
いつも見てくださっている皆様、本当にありがとうございます。
是非これからも見に来てください。

タイトル画像

RuinDigさんよりお借りしています。
ありがとうございます。

プロフィール

私、那須ノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。

いつも本当にありがとう。 これからも書くね。