錯覚や思い込みの正体
人は何か行動をしようと思った瞬間、必ず失敗への事前予測を左脳で行う。
これがホメオスタシス(恒常性維持機能)。
まことに過保護なことだが、その脳内会議は無意味。
私たちは仮に一時的に失敗の状態になったとして、たやすく立ち直る強さを持って生まれています。
そもそも自分が耐えられない失敗など起こりようもないのです。自分の体験は自分が自分で起こすのですから。もっといえば失敗は存在しません。
仮に失敗があるとすれば、『あれは失敗だった』と自分の心が決めつけたとき。もちろんそんなのはただの勘違い。
何度も錯覚を繰り返すうち、いつの間にか日常茶飯事になってしまっただけ。自分を取るに足らないと決めつけているのは他でもない、自分自身。
つまりはただの思い込み。
自分はこうでなければならない、とそう決めつけたのはいつですか?
きっともう何年も、下手すれば何十年も前でしょう。でももうその遊びは終わりなんです、いつまでも公園で遊んではいられないんです。
だからもうお家に帰りましょう、自分本来へと帰っていいんだよ。
結果に固執しなくていい理由
そもそもああすればこうなるだろうという予測自体が思い込み。
思考からくる行動に意味はない。わからないから思考するのに、その結果を予測することなんてできっこないから。
であれば事前の予測やその結果に疑問を投げかけるのがいかにナンセンスなことかはわかるはず。だからこそ行動の結果に固執せず、その結果に対して次にどう行動するかが大事。
大切なのは更なる行動であって、結果にどう思うかではない、それはもう終わっている過去の出来事なのだ。
つまり結果にどう思うかというのは固執であり、執着。何故ならその結果が出た時点で、もうすでに新しい何かが目の前で始まっているから。
目の前の新しい事柄を無視して、過去にとらわれるのは自分へ不誠実。素直に自分のもとへと次々やってくる出来事に対応することが、自分に誠実であるということ。
思考からくる思い込みを手放し、心からの行動を心がけるのが肝要。
思考とは、思い考えると書きます。
まず右脳で思い、左脳で考える。思考と感情がもつれあっている、これはつまり心と体がもつれあっているともいえる。
心は体と話したがっている、だから去来する。心の拠り所である体に違和感を感じるのだから苦しいに決まっています。
行き場のない思いはやがて衝動となり、動機となる。左脳とは自我、心から届く声が心臓で受信され、右脳へと届き感じる。
心から届く声の正体、『今を生きろ』。
であればこそ、つべこべ考えず、ただ生きればいいだけ。
◆著者紹介
この記事が参加している募集
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。