自分の可能性を自分で決めつけないで
私たち人間の頭の中にたえず浮かんでくる思考。
それらの思考は認識できないものを含めると一日で数億個(数兆かも?)にもなるのではないかと言われています。
私たちはそうして思い浮かんだものの中から、なんとなーく好ましいものを選び、なんとなーく一日が進んでいきます。
日々自分の中から出てくる感覚。
ああしたい、こうしたい。
特に自分や周りに対して肯定的になれない感覚。
note上で沢山スキを集めている人たち、note公式のコンテストで受賞して注目されている人たち。
Twitter上で沢山フォロワーがいて、日々のツイートに沢山のイイネがついている人たちやその投稿内容。
YouTubeでの配信で沢山のリスナーを集め、リアルタイムでドネーションを貰っている人たち。
多くの場合、私たちはそんな自分自身や、周りに対してこんな感覚になる。
「そんな自分像は嫌だ」
「自分はそれをしたくない」
「自分にそれは必要ない」
ただこれらは自分自身の可能性を奪う感覚であるともいえる。
その感覚の奥には、逆を返せば自分自身はこうあるべきだという、自分本位の決めつけが隠されているからだ。
自分のことは自分が一番わかっているし、どうせ自分のことは自分にしかわからない。確かにそうかもしれません、でも自分のことだからこそ見えない部分もあるのではないでしょうか?
私たちが自分はこうあるべきだと、そう決めている根拠は何でしょうか?
それはひょっとして過去の自分の経験則からくるものであったり、他の誰かの成功談などに基づいたものではありませんか?
一度冷静になって思い返してみれば、その根拠のない根拠がいかに破綻した矛盾したものであるかに気付けるはずです。
意味がない、なんてことはない
意味はその時に分かることではない、巡り巡って後からわかることがほとんどです。だからその都度、特に何もはじめていない段階で、意味がないと決めつけないでほしいのです。
そして仮に自分の中から、自らや周りに否定的な感覚が出てきたとしても、それは自分の中の常識を打ち破るチャンスでもあるのです。
これまではワンパターンに自分のことを決めてきたけれど、今回だけ違う自分を試してみよう。
そんなふうに新しい自分にチャレンジする絶好の機会です。
そもそも、なぜ自分の前に様々な出来事が現れるのか。
この機会にそのことに意識を向けてみてほしい。
私たちの前に現れる日々の出来事は、自分と何かしら関連性のある事柄が、自分の五感を通じて、その都度自分の中にやってきます。
ときには目に見える形で。
ときには耳に聞こえる形で。
ときには鼻に匂いとして。
ときには舌に味として。
ときには手に触れることによって。
こうした事柄は自分と完全に無関係の場合、そもそも認識できません。
特に何度も繰り返し自分の前に現れる場合、ひょっとしてこれは何かあるのかな?
そう思いを巡らせてみてほしいのです。
その結果、意外なアハ体験をすることができるかもしれません。
目の前の世界が何なのか考える
結局は最終的に自分を決めるのは自分自身です。
そのために自分の前に見えている世界が存在しているのだということです。
私たちにとっては、その世界での体験こそが全てなのだということです。
人生という様々な体験の果てに、本当の自分との出会いが待っているのです。だから何も挑戦せずに自分自身を決めつけるのはあまりにも勿体ない行為なのです。
より本当の自分に近づくためにも日頃から自分の中に出てくるモノを大切にしてください。思いついたら最優先でそのことにチャレンジしてください。
仮にそれが日頃から思い描いている自分像とかけ離れていたとしてもです。
だからといって無理をする必要はありません。
すべては自分のペースで進めてよいのです。
繰り返しとなりますが、私たちはより自分自身を体験するために生まれてきています。ですので自分の中からやってみたいという情熱が起こったのならば、それが最優先事項であるということです。
そんな新しい自分自身を許し、受け入れることが、結局は本来の自分の生き方への最も抵抗の少ないルートなのです。
この逆説的な矛盾こそが私たちの人生を面白いものにしているのだ!
人間とは人生とはこんなにも面白い!
だからただ自分の人生を楽しめばそれで十分なのです。
タイトルイラスト
大橋ちよさんよりお借りしています。
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プロフィール
私、那須ノの簡単な自己紹介となります。
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