○○しなければならない症候群
今回の記事のタイトル、○○しなければならないという言葉は、その字面から受ける印象の通りに、受動的であることが見て取れると思います。
本日のテーマは、時折私たちの中に訪れる、ある種の強迫観念に近い、日々あれもこれもしなければならない、と自分で決めつけていることについてのお話です。
同じ年の子たちが学校に行くから自分もそうしなければならない。
学校を卒業したら働かなければならない。
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・・・why?・・・なぜ?
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ゴミの収集日のような地域のインフラであれば右へ倣えで良いでしょう。
でも自分の大切な人生を周りに合わせて決める??
4月1日までに決めてね?
・・・おだまりなさい!!
いつはじめるかは、自分が決めるのです。
私たちは、いつだって、自分で決めてよかったのです。
私たちは誰もがそんな矛盾に気づいていながら、日々脳死状態で、○○しなければならないを、ありがたい念仏のように唱えて生きてしまっています。
もういい加減、そのことを手放す時ではないでしょうか?
やりたくないことはしなくていい
「やりたくないことはしなくていい」
そもそもやりたいことをやっている人は、そんな暇はないのです。
自分たちの周りの著名な人々が、分刻みのスケジュールで生きているのを目の当たりにしたことはないでしょうか?
あの人たちは、生まれも育ちも私たちとは違うんだ。
だからあの人たちは特別な存在なんだ。
でも実際は、彼らのその姿こそが、私たち本来の姿なのです。
私たちの至上命題はいつだって、自分を生きることです。
これこそが答えです。
こう言われるとおそらく次の疑問が自分の中に浮かぶと思うのです。
そんなに簡単にやりたいことがわかれば苦労なんてない。
そう思ってしまう気持ちはとてもよくわかります。
でも大丈夫なのです、私たちは、すでにやりたいことはやっているからです。なぜなら自分を生きることが、本来のやりたいことなので、生きている時点でその条件を満たしているのです。
つまりは、すでに私たちは間違えることなく自分自身を生きていて、さらに自分は自分であったのだと、その事に気づくこと、思い出すことなのです。
その上で、自分を生きるとは、より自分自身になっていくということです。
いつだって私たちは答えとともにあったのです。
これはそのことに気づくかどうかという話なのです。
そもそも世界そのものである私たちは、失敗や間違いを犯すことはありません。いつだって自分たちの歩みの後に道ができるのです。
それでも焦る気持ちがあるのであれば、日々自分自身がなぜか惹かれることやワクワクすることを常にやることです。
それが自分が自分自身だと気付ける近道であり、あるがままに生きるということです。そのために人間には、五感をはじめとするその性能が備わっているのですから。
そして繰り返しとなりますが、「やりたくないことはしなくていい」のではなく、そもそも私たちには、その暇ははじめから無い、というのが正確な言い方となります。
それと、「あ、これやりたくないことだったんだ?」というものを、すでにお持ちであれば、まずはそれを手放すことからはじめてみてはいかがでしょうか?
それは、学校でしょうか?
それは、今務めている会社でしょうか?
それは、一緒に暮らすパートナーでしょうか?
最後に
ここまでお読みいただけたなら、ご自身の中からある想いがわいてきていませんでしょうか?
そう、こんな誰ともわからない私などの記事を読んでいる暇なんて、あなたにはないのです。
あなたがいまやりたいことは何ですか?
世界はいつだってあなたを待っているのです。
自分を生きること、それが愛に生きるということです。
いってらっしゃい、広い広い無限の世界が、今を待ち焦がれて待っているのですから。
タイトル画像
Nottyさんよりおかりしています。
ありがとうございます。
プロフィール
私、那須ノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。