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拝読:「文章は接続詞で決まる」著:石黒 圭

この度、note主催の読書感想文コンテスト「#読書の秋2021」に参加させていただくにあたり、光文社新書出版、石黒圭先生の著書、「文章は接続詞で決まる」を拝読させていただきました。
以下は、感想文となります。

「接続詞とは、文と文とを繋ぐためにちょくちょく登場する頑張り屋さんである!」

「文章は接続詞で決まる」(以下本書といいます)を、読むまでの私の接続詞についての認識は前述の通りだったわけですが、本書はそんな私の襟を正すのに十分すぎる内容でした。

これからは自分らしさを何よりも大切に生きていく、そう決めてから出会った本書。この出会いをより貴重なものにしたいと繰り返し読み返しているうちにひと月以上の時が流れた。

私は本書を読み進めると同時に、私のこれまでの文章のいくつかを並行して読み返しました。そうしているうちに、文章にも自分の癖のようなものが現れるのだなと再認識したのです。
そしてその癖になっている接続詞の多くは不要な場合が多いということに気づかせてくれました。

また、なぜ自分が無意識に文と文との繋ぎの部分をこのような表現方法にしていたのか、自身が日ごろ直感的に行っている表現の意味への理解が深まったのです。
このように、接続詞への理解を通して、自己理解が得られるとは思いもよらぬことでした。
そんなこんなで、拝読後の感想ということよりも、色々な気づきに対してのお礼のような心持でいま書いています。

ここで本書の内容について少しふれたい。
これについては、著者が序章で示している言葉をお借りしたい。

実際の文章を書くときに役立つ接続詞使用の勘どころについて、身につけていただくことを目指します

本書はこの言葉の通りに、文章を書く際のコツを接続詞への理解を通じて直感的に掴むための手引書です。
奥深い文章という広義の中の接続詞にスポットライトを当てた貴重な著書なのです。

本書の中で特に心響いた著者の言葉がある。
"接続詞の存在意義は表現者と読み手のためにある"という部分です。

たしかに改めて文章に向き合い、接続詞に注目して考えてみると、なるほどたしかにと素直にコクリと頷けるのだ。
読み手のことを考える場合、読みやすさは、リズムであり、その点で接続詞はかなり重要な役割を果たしている、と同時に、
書き手の方から考える場合、伝えたい思いをつなぐという、その点で接続詞はかなり重要な役割を果たしているのだ。

本書との出会いにより、これまであまり意識しなかった、接続詞という存在が、表現したいという自身の思いに常に寄り添ってくれていることに気づけたのです。
いつも自分の表現したいという情熱的な思いを、静かに支えてくれていた優しい存在だったのだということに。
こうした点へあらためて思いを馳せると、文章を書き直す場合に、一番手を入れる部分が接続詞であることにもしっくり腑に落ちるのでした。

私は走り出したばかりの物書きです。
本書はそんな品詞が何かさえもおぼろげな私が、今後も文章を書いていく中で、これからも繰り返し読み直して何度も自分の中に落とし込んでいきたい内容です。
そうして読み返すうちに、また一つ何か大切なものが自分の中からコロンと出てくるのだと思う。

この感想文がきっかけとなり、
「そういえば、接続詞?」

このように当時の私と同様の気持ちをもった読者に何か一つだけでも届けられれば本望である。
願わくば同じ気持ちで本書をお読みいただけたら嬉しく思います。

あとがき

私は日頃から文章というものに向き合っているのにもかかわらず、そもそも文章とは何なのか、言葉とはなんなのかという、息をするのに等しいことに希薄になってしまっていたことにあらためて気づいた。
つまり接続詞の意を今一度考える機会となったばかりでなく、まるで何かの思いがその思いを接続したかのようではないか。

読書は素晴らしい。
そもそも読書というものはそういうものであったのでしょうか。
そしてまだまだ人生はこれからなのだな。

ここまでお読みくださった皆様へ感謝を申し上げたい。


(追伸)
これまで書いてきたnoteの記事をすべて読み返し、だれにも気づかれないうちにこそっそり、手直ししたことはここだけの話としたい。
だからとて稚拙な文章が光り輝くというものではないのですが。
Yoshitakahiko_Nasuno


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