見出し画像

雑多な雑感――NPOの戯言㉔

《「失敗」と「成功」のあいだ》
 「子どもはバカである」というのは一定の真理を突いている。「バカ」といっても、ここでは感情が理性を凌いでいるということ。なので世間の混濁にまみれてきた(ゆえの)「おとな」にも「バカ」は数多いる。わたし自身は酔っぱらっても「理性の塊である」とうそぶいてきたが、わたしと面識ある人は誰も信用しないかもしれない――そう思い至り、ひょっとして自分は「バカ」の見本かもしれない、ということに最近気づいた。きわめて妥当な推論である。
 ついつい過去の言動を顧みてしまう年頃ではあるが、それに加えて二つの理由がある。暇と酒(たぶん)。酔っぱらいの性癖にはいくつかあるが、わたしは「冷静で」ある(つねにとは言わないが概ね)。その冷静さによって導き出された過去の自分の言動を総括すると、どうやら「(真っ)黒歴史」。有り体に言えば失敗をめぐる物語の数々。
 「失敗」というのは日常生活で頻出する話題の一つ。そして「失敗」をフォローするために「失敗は成功のもと(母)」「失敗も経験のうち」などと言う輩がいるのは昔から同じ。事実「失敗」を重ねて「成功」がある。正論であろう。しかし「失敗しかしない人」あるいは「失敗から何も学べない人」はどうなるのか。
 高校生・大学生時代の軽挙妄動の数々。高校時代は酔っぱらって道路に寝ころんでいたっけ。大学時代はアルコールのせいで死にかけた(喧嘩=敗北を含む)。まして大学院時代は「酔っ払い」を名刺に刻むほどの悲惨を経験してきた(喧嘩=連敗を含む)。サイエンスとは程遠い世界でサイエンスを語っていたのだから、どうしようもない(これに恋愛沙汰を絡めると救いがたいのだろうが、そこはモテない男の面目躍如、何もない)。
 ともあれ、同類の「失敗しかしない人」は存在する思う(思いたい)。では「失敗」続きの「黒歴史」を救う手立てはあるのだろうか。「ない」――これは天上からの声である。
 しかし心配無用。第一に、どんな「成功」も「失敗」も刹那の事柄に過ぎない(宇宙の歴史からすれば)。第二に、どんな「成功」も「失敗」も心理的要素が圧倒的、ほぼ個人の性分に負っている。つまり自覚と錯覚の問題。まぁ「失敗」も「成功」も錯覚に過ぎないと思い込むに限る。
 わたしは錯覚しようのない「黒歴史」を自覚せざるを得ないので、今日も小銭を稼いで酔っ払いの体たらく。今日は吞みすぎたかも。それでも明日はやってくる(ことを願う)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?