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”思いつき”定義集Ⅱ⑭「こ」ー②

【国連】国益がせめぎ合う駆け引きの場。また、大・中・小・弱小など、国の力関係を再確認する場。日本は「中(Middle Power)」に該当か。
 第二次世界大戦後の平和的秩序の礎となるはずだったが、今や見る影もない。もちろん国連=連合国(the United Nations)という戦勝国の恣意的機関であることも事実。だが、それを踏まえても国連憲章のとりわけ前文には敬意を払いたい。きれい事と言うなかれ。言葉が内実を与え得ることを全否定するには尚早。現に人間の尊厳を守るべく命がけで活動している人たちも多い。その働きがあって、やっとこさの現在だ。
◆注:国連総会演説でイスラエルのネタニヤフ首相は「国際法を遵守している」旨の発言をしていたと記憶するが、だとすれば噴飯もの。国連の職員を殺し施設まで破壊しているのだから。まさに政治権力者の鏡!
 イスラエルが現代国際法を尊重しないのは今に始まったことではないが、何かの病いを悪化させた可能性もある。「傍若無人」あるいは「軍事力こそ正義」という病いか? いずれ診断は下る。
◆推し文献:国連とは離れるがイスラエルとそれを支えるアメリカに関わって、エドワード・W・サイード『ペンと剣』(ちくま学芸文庫、2005年)。

【言葉】言葉には無限の可能性がある。だが万能には程遠い。何事にも限界はある。例えば「自分の気持ちを言葉にせよ」というのはある意味残酷な命令でさえある(言葉にできれば世話ないわ。アホか!)。言葉を生業とする詩人や小説家、翻訳家の表現にも完璧というのはない。断言するが、もし完璧だという人がいれば信用してはならない。
 それでも言葉には力がある。ちょっとした挨拶でも人を和ませることはあるし、ある人の声によって勇気づけられ救われることもある。時には人生を左右することも(ちと怖いけど)。
 なお、言葉には必ず二面性が潜む。例えば、誉め言葉であっても相手は皮肉と受け止めるかもしれないし、皮肉を込めることで貶める場合もある。人間関係にあって言葉による誤解は避けがたい宿命。言葉って本当に難しい。ゆえの奥深さ。
◆注:ちなみに語学に長けた人や言語学者の本も面白い。シリアスな社会歴史派とも言えそうな田中克彦、外国語そのものの興味をかき立てる黒田龍之介。個人的には旧ソ連とモンゴルの歴史に触れることができた田中克彦の著作を推したい。


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