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雑多な雑感――NPOの戯言⑮

《たぶん普遍的なテーマ⑧》 神様と仏様(2)
(つづき)
 前回したためたように信心深いわたしではないが、信心深い人の気持ちも理解できる(つもり)。わが母系では信心深い人が多いというのもあるが、わたしの経験も加えておきたい。わたしは幼年期「ケガの王様」と言われるほどケガと命の危険にさらされてきた。
 定かな記憶として二つだけ。一つ目は自転車ごと水の流れていない用水路に落っこちたこと。場所も含めて「落ちる瞬間だけ」は覚えている。あまり気持ちのいい話ではないので割愛するが今も頭の傷は鮮明に残っている。二つ目は近所のドブ川でオタマジャクシを掬おうとしてそのままドボン! これも「落ちる瞬間だけ」鮮明に。この時は自転車で通りかかったおっさんに助けられたらしい。わたしは「神様がズッコケロ、ズッコケロと言うの」とのたまわっていたらしい(記憶にはないが実にかわいらしい)。その他もろもろの傷が身体に刻み込まれている。どんくさいだけだったのか?! 
◆注:それはちゃう! 中学では運動神経だけが自慢で成績は3年間「5」しかない。

 あまりに続く惨状に母はお祓い師を呼んだらしい。かすかな記憶もある。実際のところ、それが功を奏したかは証明不能だが、数度に及ぶ捻挫とギックリ腰以外に大きなケガに見舞われていない。そうである限り「その不思議さ」を信じてもいい気になる。
 こうした経緯が信仰として成り立つかは判らないし、宗教宗派が絡んでいるとも思われないが、必要としての信仰なるものを感じることはできる。つまるところ自分を守るための防衛機能が信仰の一端を成しているということかも。

◆注:ちなみに、キリスト教系、仏教系の大学で教える機会があった。キリスト教系の大学には立派な礼拝堂があり関連授業もあるが、学生が熱心であったとは思えない。オーマイガー! 仏教系も然り。報恩講の日は休講になるので学生・教員ともに喜んでいたように思う。南無阿弥陀仏!
(つづく)

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