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SWになるまでの自分形成

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これから書くことは、ソーシャルワーカーになるまでの自分形成がどうだっかを学生の頃まで遡り、社会人になる30年前までを振り返ってみます。

学生時代

母は教育熱心で人柄よりテストの点数を気にするところがあって、父は今の時代なら虐待になるような言動が多くて怖い存在でした。当時はそんな家庭は珍しくなかったと思います。「男は義(文句)を言うな、黙って言うことを聞け」と叩き込まれ、無口で大人しく目立ちたくないさえない自分と思っていました。自分の意見が言えない、行動することが恥ずかしい、引っ込み思案な方が安全と幼少期に学んだように思います。書道が得意なだけで運動音痴な自分が嫌で、道具も必要なく一人でできるという理由だけで、近所をジョギングはじめ、高校で勇気を出して陸上部で中長距離(駅伝)に同級生中心に一緒に頑張ったことが何より記憶に残る青春でした。個人としては記録も記録も残らない成績でしたが、チームとしては記録も記憶も残せて、3年時は主将任され充実した経験でした。
そして就職を希望しましたが、陸上部の監督の勧めもあり大学へ進学しました。選んだのが出身県の大学の福祉学科でした。選んだ理由は消去法で、県内で公立は今更無理、経済、経営というタイプではないしな・・ただそれだけでした。大学は資格を取る気持ちもなく、親からの仕送りは断り家賃や生活費を稼ぐためにアルバイトして社会経験を早くしたい気持ちでした。最低限の単位を3年間でとってしまい、4年生は社会人のように働きまくっていましたが、この4年間のアルバイトがとてもいい経験になりました。
①、月曜~土曜は、個人経営スーパー(八百屋)6時~20時
②、①終了後22時まで、①が経営するコンビニ
③、日曜は、たこ焼き、焼鳥の出店
④、①の取引先の業者に短期間

すべて①の八百屋つながりのバイトで、講義がない時間帯はバイト、深夜は同期の友人たちとビリヤード、この頃から睡眠時間は短かったんだなぁ。
「書道」「駅伝」「バイト」この経験が、「集中力」「忍耐力」「継続力」「協調性」「チーム」「社会」について学ばせてもらったと思う。


アルバイトがいい社会経験に

アルバイトの影響がとても強くあった。バイトで半年以上続いた人はいないと有名だった八百屋で4年間続け、野菜市場仕入れ、野菜の加工品出し、レジ、ライバル店調査、野菜以外の在庫管理、取引業者への発注、金融機関との取引、昇給、ボーナス、後輩やパートさんの指導、社長の長時間説教(毎日)((+_+))、コンビニ店舗など事業拡大、取引業社へ短期間出向、焼鳥やたこ焼きは平日八百屋の店先でやってるので混んでいるときや、日曜はイベントなどの出店も手伝い、4年間365日小さな企業で働かせてもらったような経験でした。なので、先にも書いたように大学の講義も最低限、資格は何も取らず4年生の時は働きづくめ(;^ω^)
就職活動では医療福祉関係はあまり考えてなくて、民間企業の内定をいくつかいただき、福祉学科卒業なのに経済学部の卒業生のようだったかもしれません(;^ω^)


就職先は地元の病院

実家に帰ったとき、近所のおばさんの家でお茶しながら会話して就職の話になった時「福祉学科で勉強したのに、関係ない民間企業は勿体無い!」「知り合いが人材を探しているから会ってみて!」と言われたのです。
県外への転勤もある民間企業への就職を阻止したかった両親が、近所のおばさんに頼んだ様子もあったけれど、とてもお世話になっていた近所のおばさんはいつも本気で僕と話をしてくれて、とてもお世話になっていたので断るわけにもいかないな・・と思ったのです。紹介されたのが就職先となった病院でした。
決めた動機は、嘘のような話が本当だったら凄いなって思ったことでした。「数年後に新築移転した時、日本にまだあまりない病棟もつくり関西や関東からも患者さんが来る病院にする」と日本の端っこのど田舎でそんなことを本気で考えているなら面白そうだなと興味を持ったんです。
ただ、社会福祉学科で単位を取っただけで、何も習得できていない福祉や医療などを意識してこなかったこと、アルバイトの経験があまり活かせないかもと考え、先輩に相談した時いただいた言葉はずっと今でも大事にしています。

「経験を生かすも殺すも自分次第だよ」

しばらく考えて内定をいただいていた民間企業を辞退し、地元の病院に入職することにしました。「いつから来れる?」と尋ねられ、「アルバイトを2月まで約束しているので、3月からは暇です」「1日が日曜だから3月2日から研修ね、卒業式は休んでいいから」という会話を今でも覚えている。
とりあえず事務職としての採用で、検査室、薬局、厨房、病棟、事務と院内の全ての部署で研修して数ヶ月を過ごした。そういえば厨房の研修で数週間やっていると、包丁使いも上手いとスカウトされそうになった( ´∀`)
そして研修期間を終えていつの間にか新年度も過ぎていて、新病院開設準備室という離れの小さな建物に事務管理部長と経理の2名だけの部署で、「これからソーシャルワーカーという職種が必要になる」「アメリカでは幹部や運営にソーシャルワーカーもいて・・」「日本という狭い視野だけで物事を見ていたら時代遅れになるから常に先を見なさい、海外の動向も見なさい」そんな話を研修のまとめのように聞かされ、「この病院にも地域にも初めてのソーシャルワーカーとしてやってもらいたいんだ」と。

この時、大学の授業をもっとしっかり受けておくべきだったΣ('◉⌓◉’)
社会福祉士の資格はとっておいた方が良かった( ・∇・)
と思いながら、買ったばかりのようなテキストをもう一度手に取り、病院でソーシャルワーカーって何すればいいんだろう・・。大学の教授は福祉施設の話しかしてなかったし、病院経験の先生なんていなかったし・・・
途方に暮れながら、何をするか、何から始めるか考え始めた。


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