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ファミレスにて

あたしは小学校5年生の時にスダ教に入信した。スダっていうのは当時のクラスメイトで、町の小さな銭湯「湯〜とぴあ」の一人息子で、サッカークラブと野球クラブを兼任していて足がアホみたいに速くてみんなのヒーローだった。あたしはスダのことがちっとも好きではなかったけど、あたし以外のクラスの女子は全員スダのことが好きで、あたしも好きにならざるを得なかった。多分だけどみんなスダが好きっていうのが、5年1組女子の絆っていうか、仲間意識っていうか、そんなかんじのものだったのだ。スダのことかっこいいって言っていなきゃ仲間はずれにされる。そんな恐怖感から、あたしは毎日毎日、彼女たちといっしょになってスダの足の速さとか登り棒を速く登れることとか騎馬戦の大将をやったとき超かっこよかった等むやみやたらに褒め称え続けた。
何で今更小学校の頃のことを思い出したかというと、メロンソーダとコーラとカルピスとオレンジジュースを混ぜた泥水みたいな色のジュースをごくごくと飲む春太を見ていたら、どことなくあの頃のスダに似てるなあって。
実家からほど近いファミリーレストラン。春太はドリンクバーで色んな種類のジュースをせっせとブレンドし、それが汚い色になればなるほど喜んであたしに見せた。「これね、毒だから!」とすきっ歯で笑いながら。あたしは、毒か〜、そうかあ毒なのかぁ〜と得意の空返事をしながら携帯電話を弄り続ける。先週、5年付き合った彼氏と別れた。そしてつい先日、父が倒れた。母が言うには、とつぜん、ダンッて倒れたらしい。電話越しに「お父さんが倒れて。ダンッて。倒れて。ダンッて。びっくりしたのよ」と母が淡々と繰り返したとき、あたしはボールに当たって投げ飛ばされるボウリングのピンとかを想像した。父は、あのピンみたいに、倒れたのだろうか。入社して以来使うタイミングがよくわからずに、貯まる一方だった有給休暇を初めて使った。何年振りかに帰る故郷は、駅前が以前より少し賑やかになっていて、新装開店のパチンコ屋の前を通るときには開店前から道に沿ってしゃがんでいるおじさんたちがじろじろとあたしのことを見上げてきた。よそ者。という、目をしてた。空気はどちらかといえば澄んでいるような気もするけど、そうでもないような気もする。あたしはデフォルトで鼻が詰まってるからよくわかんないんだ。窓から見える川の向こうには工場が積み木みたいに並んでいた。その薄い灰色と濃い灰色の四角を指差し、「かわいい」と大して思ってもいないことを適当に呟くと、甥っ子は「どこが」と泥みたいな色のジュースをごくごくストローで吸いながら首をかしげる。今頃病院のベッドで寝っ転がってるお父さんにも、春太の、こんくらいの背丈のときがあったんだろうか。

「リツコも、毒のめ」
「飲めないよ」
「これねー、特製うんこみずって名前の毒にした。リツコも飲め」
「絶対飲めないよ」
「飲めってぇ、飲めってぇ」
「飲ーまんわ。くそがきが」
「うっさい妖怪メガセン」
「メガセン?」
「目が線」
「…くっっそがきが。ワニに飲まれろ」

母と3つ上の姉が病院と家を行ったり来たりしてるあいだ、あたしは姉の子どものお守り係を言いつけられ、8歳小学生男子と毎日ファミレスデートをしている。田舎だから長居してもそれほど嫌な顔はされない。あたしはもう何杯目かわからないコーヒーを飲み干した。

彼氏と別れた日は金曜日だった。金曜ロードショーで魔女の宅急便をやっていた。別れようって言葉で終わったわけではないけど、もう一緒にいてもお互いのためにならないね、とかそんなようなことを、たしか、向こうに言われたんだった。ヒモ同然の立場だったくせに最近突然就活を始めたから、いよいよ結婚してくれるのかと思っていたら逆だった。あたしを捨てるため、ひとりで生きていくため。お互いのためになるために一緒にいたつもりなどさらさらないのに、どうして高め合う関係になどならなきゃいけないのだろう。ビジネスじゃあるまいし。だいたいお互いのためにならないって、元ニートが何を言ってるんだ。等、諸々言いたいことはあったけど、あたしは「わかった」と言った。
春太がせっせとおしぼりをちぎってテーブルに並べ始める。おしぼりをくるくる丸めたり結んだりしながら、春太が、リツコぉ、とあたしを呼ぶ。もう少し小さい時は、ちゃん付けで呼んできてまだ可愛かったのに。

「どうした」
「じいちゃん、死んだらさ」
「まだ死なないよ」
「うん。でも死んだらさ」
「うん」
「ジャンボ見つけてくれるかな」
「ジャンボって?」
「ハムスター。こないだ死んだ」
「ああ」
「ジャンボ、寝てると思ったら息してなかった」
「そう」
「見つけられるかな。てか、死んだらどこに行くの」
「…」
「…」

空っぽのカップを無駄に傾けたりしながら、知るかよ、とあたしは春太に言った。
春太はつまらなそうにあたしを睨みつけた。
大人がなんでも知ってると思うなよ。

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